ラベル 福岡 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 福岡 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2014年6月4日水曜日

門司駅あたりで見える、あの赤煉瓦の大きな建物




門司駅の近くに見えていた、大きなレンガ建ての建物。



再開発のためでしょうか、周囲が空き地となるなか

取り残されたように ポツンと。


それでいて、かっての栄光を語るかのごとく、

仁王立ちしたような姿が印象に残っています。



あの建物はどうなるのだろう?



それから後・・・ 以前、WWのコクリコ坂の展示で紹介した本

日本近代建築大全の【西日本編】に


旧サッポロビール九州工場事務所


1913(大正2)年竣工

現在は 門司赤煉瓦プレイスのシンボル 北九州麦酒煉瓦館として

公開、再利用されていることが掲載されていました。






先の写真は、この建物の周囲を撮影したもの。


今ならデザイナーズ系のオシャレビルにも、似たような景色を

設けたりしていますが、歴史を重ねた建物だからこその

本物の魅力が感じられます。



2012年10月28日日曜日

門司港駅 これからもランドマークとして



いつ見ても、風格を感じさせられます


正面から見ると、漢字の「門」の字を思わせ


数多くの人が

九州への、第一歩、最後の一歩として、眺めたであろう

往時の賑わいを、今に伝えています。


この「門司港駅」は、


1988年・・・ 全国の駅として、初めて

国の重要文化財に指定された駅舎です。


重要文化財の駅舎といえば・・・

2003年に指定された

先に、復元工事の完了した「東京駅丸の内駅舎」もあります!


そして、こちら「門司港駅」も


1914年の開業以来、


100年近くが経過、建物の老朽化が進んでいるため・・・

今回、2018年の完成を目処として

解体修理工事に入っています。


工事完成は


ちょっと、先のことにはなるのですが

この 門司港駅も、北九州市門司地区のランドマークとして、

末永く活用されていくこととなりそうですね!


ちなみに・・・


この 門司港駅東京駅レンガ駅舎旧 大社駅の3つは、

私が、特に好きな駅舎建築でもあり

いずれも、国の重要文化財に指定されている・・・というのは、嬉しい限りです!



2011年5月6日金曜日

桜に出会う


   旅をしていると・・・

   ソメイヨシノ に限らず、様々な種類の 「桜」 に出会います。
   もしも・・・それらの サクラ の種類が分かれば、楽しいでしょう!
   私も、特に詳しいわけではないのですが・・・

   できれば・・・ 動・植物・昆虫の 種類が分かるようになりたい!

   そんな思いで、出会ったサクラを、図鑑をめくって調べてみました!

   まずは・・・ 福岡県 筑前大島 宗像神社中津宮 で出会った
   ヤマザクラ と思われる写真。


   宮島の参道で出会ったのは・・・

   今年、唯一の シダレザクラ

   栽培品種 の 八重紅枝垂 と思われるもの。


   こちらは・・・

   今回の旅で見かけた・・・ 白色の ヤマザクラ と思われる品種。
   撮影地は 熊本県 阿蘇山麓。



   同じく・・・ 今回の旅で見かけた ヤマザクラの栽培品種となる、
   「仙台屋」と言われるものではないでしょうか!?

   濃い紅色が印象的。

   大分県境にほど近い、熊本県の 三愛レストハウス の駐車場で見かけたもの。

   今回の種類の特定に使ったのは・・・ 以前から持っている
   学研のフィールドベスト図鑑 日本の桜 です。


にほんブログ村 広島ブログ

2011年5月3日火曜日

花の若戸大橋♪



   For those who come to San Francisco

   Summertime will be a loving there

   In the streets of San Francisco  ♪ ~


   60年代の洋楽ナンバーを知る方なら、堪えられない 名曲中の名曲。!!!

   花のサンフランシスコ の歌詞ですね!

   うっわ~ イメージにぴったりだ~!!!


   最近・・・

   写真を撮ることに、少しは慣れたのかな~!? と思うことの一つに
   「光の予想」があります。

   この光だと、こんな絵になるんじゃないかな? ・・・ということが、
   直観的に分かるようになってきていて・・・

   当初は「ヤマ勘なのかな!?」
   思っていたことが・・・ どうやら、そうではないらしいと分かってきました。

   写真の絵が、正にそれです。

   最初は、対岸の反対側、少し離れた場所を車で走っていたのですが、
   
   帰るための道に入る時間の迫るなかで

   運転中の I さん に 「渡って、反対側から狙おう!
   眺めるポイントがあるのかどうかは、分からないけれど、
   これだけ日が落ちたら、そこしか無いと思う!」

   あれっ・・・ 今、俺は何を言ったのかな?

   ・・・ とも思ったのですけど、すでに ポイントをしているような時間がありません。

   ここがダメなら、今回は諦めよう・・・ 一か所に掛けるなら、そこしかない。


   1962(昭和37)年の開通

   架橋当時は 東洋一の吊り橋 と言われ・・・
   日本の超大橋架橋の嚆矢ともなった

   若 戸 大 橋

   赤い橋と夕景・・・ 良いですね~!!!


   If you come to San Francisco

   Summertime will be a loving there.
   


にほんブログ村 広島ブログ

2011年4月28日木曜日

大陸との交流の歴史



   宗像神社辺津宮 の続きです・・・

   森の奥へ向かって歩く私達。
   やはり何か違うなぁ~! と思うような、ピリッとした雰囲気があたりを包んでいます。
   こういう所を パワースポット って言うんしょうね。



   伊勢神宮の第60回遷宮時 に、ここに移築された建物。

   現在、第62回、2013(平成25)年の遷宮が進められていますから、

   60回というと・・・

   1973(昭和48)年の遷宮時に取り替えられた建物という事のようです。
   とても質の良い木を使って建てられているだけに、
   表面を削るだけで、今でも新築のようになるんじゃないかな!?と思うほど
   しっかりとしています。 


その立札です。

   さて・・・ I さん の何気ない一言で、宗像神社を巡ることを決めた
   私ではありますが・・・

   そんな事とは別に、以前から私が確信のように思っている事。

   それは・・・ 現在、世界遺産の暫定リスト 入りしている
   これら 「宗像・沖ノ島と関連遺産群」 は、
   必ず世界遺産に指定されることになるだろう!・・・ということなんです。

   神の島として、今も、人の自由な入島を禁じている 沖ノ島 には
   かっての大陸との交流 遣唐使の時代を物語る数多くの宝物が発見されています。
   
   その数・・・ 何と 8万点 そして、その全てが国宝に指定されているのです。
   
   近代に入って、台風で失われてしまったり、現状維持のために
   全ての遺蹟を発掘できないにも関わらずの、この数なんです!!!

   その一部が、辺津宮 「神宝館」 にて展示されています。

   銅鏡(三角神獣鏡)・・・ 何個あるの、え~っとぉ~?
   
   これ一枚だけでも、とんでもなく貴重だぞ。。。

   お~ こっちは勾玉だ!

   これらは、興味がありましたら一見の価値がありますよ。 
   

にほんブログ村 広島ブログ

2011年4月27日水曜日

北九州、食べた食べたかった


   わずか・・・ 2時間半ほどの滞在だったのですが・・・

   とても印象に残った、筑前大島 へのショートトリップ。

   機会を見つけてチヌ釣りとか来たいね!

   広島からでも、アクセスもいいしね。 泊まりなら結構な時間
   居られるし・・・。

   自然と、そんな会話を交わしていました。

   船を下りた時、目に入ったのが 写真の風景。

   ひじき ですね!!! 美味しそう♪



   塩かなぎ・・・ って何だろうか?

   さぁ・・・。

   帰って調べてみましたら イカナゴ ですね。 今、買ったら車の中が・・・・・・。
   う~ん残念!
   私のような、魚好きな人は、海辺付近に観光に行くとき 保冷箱 は必須ですね~。  
   


   え~ 大宰府以外でもあるんだ~! は 宗像神社辺津 で見かけた

   梅ヶ枝餅

   この1軒の屋台だけでしたけど、お客が途切れないほどの人気ぶりです。

   この素朴さがいいんですよね~!!!


にほんブログ村 広島ブログ

2011年4月22日金曜日

駆逐艦「柳」ここに・・・



   実物を見るのは初めてだなぁ・・・・・。


   今回、北九州に向かうにあたり I さん が、どうしても行きたがったのが、
   ここ、若松区の防波堤。

    これが、何だか分かりますでしょうか?

   実は・・・ 軍艦なんです。

   戦後・・・ 防波堤として、この地に据えられた

   旧日本海軍の駆逐艦 柳

   防波堤の先端から 船でいう、後部部分から撮影したものです。
  
 
   私は・・・

   子供の頃 軍艦模型が好きで、駆逐艦の模型も何隻か作りました。
   説明書には、実物のデータも書かれています。

   今、試みに・・・

   昔から持っているけど、作っていない タミヤ ウオーターラインシリーズ 
   駆逐艦「吹雪」 を眺めているのですが、これが 1680トン、115.30m
   別に調べた  は 1280トン、100m と、一回り小柄です。

   今であれば、Wikipedia で調べれば、すぐなのですが
   実物を眺めた後、模型や資料にあたるという工程は大切なんです。
   この船は、1945年8月9日 (長崎に原爆が投下された日です。 )
   青森県の大湊湾で空襲を受け浸水、擱座したとなっています。

   その瀕死の船体を、武装解除、わざわざ 北九州市に回航して、
   防波堤にした・・・というのは、少し妙な感じがしないでもありません。

   まだ、何か事実が隠れているのでしょう。


   写真の 柳 に加え、この写真右手の奥に続く防波堤には・・・

   戦艦「大和」の沖縄特攻に参加した7隻のうち
   大きな被害を受けながらも、帰還した
   冬月、涼月の2隻も防波堤として使われています。
   今は拡張により、完全に埋め立てられてしまったようですが、
   これらが 決して、遠い時代のの出来事ではなかったのだ・・・と感じらされます。

   戦艦や空母だと2000~3000人
   駆逐艦でも200人前後の方が乗艦されていた、当時の軍艦。
 
   その、数少ない残存艦の3隻が 今、この地にあります。
      

にほんブログ村 広島ブログ

2011年4月21日木曜日

宗像神社辺津宮



   北九州 の旅は続きます・・・

   再び 船で、九州本土に戻ってきた私達!

   早速・・・

   宗像神社辺津宮(むなかたじんじゃへつみや) へと向かいます。

   車で10分ほど・・・

   いやぁ~ 今回の旅は 花見 も、楽しみのうちですねぇ~ ♪ 


   本殿(奥) と 拝殿(手前)

   今年、お祓いを受けた 厳島神社 と同じ 市杵島姫 を祭る神社。
   ここでは・・・ 宮島 に同じく
   私 と 当ミュージアム のことについて、報告とお願いごと・・・。


   今回・・・ ここで撮影した、開き始めた青葉と、花びらの組み合わせ。
   何でしょうね・・ 不思議なくらい、惹かれるものを感じます。

   以前なら、神社やお寺の紹介は
   このくらいの軽めな感じで終わらせていましたけど・・・

   ここは ミュージアム ですものね!
   
   それに・・・ どうしても皆さんに、お目にかけておきたいものや、
   触れておきたいこともあったりしますので・・・

   辺津宮 の ご紹介は続きます・・・・ ( 週明けくらいかな!? )


にほんブログ村 広島ブログ

2011年4月17日日曜日

筑前大島の旅

  
   わずか・・・

   25分とはいえ、船旅を挟むと 旅の味わいが深まります!!!

   I さん の口から、その名前が出なければ、
   私は気づきもしなかった 宗像大社

   今年になって その名前が 不意に出てくるのも何かの縁・・・。
   
   そう・・・ 宗像三女神 の次女 市杵島姫 ( イチキシマヒメ ) といえば
   今年、お祓いをした 厳島神社 祭神 でもあるんです。


   北九州の旅・・・ 工場の夜景 を撮影した後、
   
   まずは・・・ 三女 湍津 ( タギツヒメ ) を祭る

   筑前大島 の 宗像大社中津宮 へ・・・
   

   大賑わいの始発便フェリーでしたが、

   あの方々は、どこへ向かったのやら・・・?

   こちらにやって来たのは私達だけ。

  

   今 願うことといえば・・・ 東北・関東地域の被害がこれ以上
   拡大しないようにということでしょうか・・・。

   中津宮 を後にした私達は

   いよいよ 山登りにかかります。

   ゆっくりと登れば、何の事はないのですが
   早めのフェリーの時間に間に合わせたい・・・ 
   やや駆け足で登ります。

   ふぇ~ぇ。
  


   見えるか?

   う~ん。

   私達は 御嶽山展望台 から

   長女 田心姫 ( タゴリヒメ ) の鎮座する 沖津宮 のある
   沖ノ島 を探します。

   先ほど、船に乗った 神湊 まででも10Km足らずだというのに霞んでいます。
   福岡まで30Kmくらいでしょうか? それすら、はっきりしません。
   
   これで、40Kmはある沖ノ島なんて見えるわけがないよなぁ・・・。

   だねぇ・・・。

   あれは、海上保安庁の船かぁ!? PL-41・・・ 帰ったら船名が分かるね。
   やはり、このあたりは警戒しなくてはならないんだなぁ。

   登って良かったね・・・。 どちらからともなしに、こんな言葉を掛け合います。

   景色がいい!!!

   
   帰り際・・・ 資料を貰えれば と それらしい建物に入りました。
   
   あれっ、 やってないのかなぁ・・・? さぁ・・・?

   あぁ・・・ すみませんねぇ・・・。

   これは、これは ようこそ!!! さまざまな部屋がありますから、
   どうぞご自由にお使いください・・・ 広島からですか。 それはそれは・・・!
   沖ノ島ですか? あれは、年に数回見えれば良い方です。
   この時期、皆さんチヌ(黒鯛)を釣りに来られるんです、
   このくらい・・・(30cmくらいを手で示して。)のものが釣れるんですよ。
   
   いつまで? え?・・10時20分の船で戻られる・・・ 
   今からだと・・・間に合いますかねぇ?
   どうぞ、またいらしてください! 

   この方は、わざわざ履物を履いて、外まで見送りに来てくれた。
   深くお礼をして別れる。
   わずか数分話しただけで、こんなにも印象に残るとは・・・。


にほんブログ村 広島ブログ

2011年4月13日水曜日

工場の夜景なるものを・・・



   最近・・・

   夜の工場の見学ツアー なるものが密かなブームらしい・・・。


   それを、自分たちもやってみよう! ・・・というのが 今回の旅の発端。   
   
   ねぇ・・・ 撮れるのかな~。

   う~ん どうだろう!?

   おおよその趣味が似ている・・・ という理由で付き合ってくれる I さん も
   今度ばかりは疑心暗鬼・・・。 私が「止める」と言った瞬間に終了しそう・・・。

   まぁ、やむを得ないよなぁ・・・ 何せ 私自身も行ったことが無いのだから。

   しかも・・・ すでに 時間は 朝の3時を回っている。
   じきに、薄明るくなってくるだろう。

   ここ・・・ あたり・・・ かな? でも、暗いねぇ。

   うん・・・ まぁ、試してみよう。

   
   その結果が、今回の写真。


   徳山 でも良かったかな?

   大竹 でも良かったんじゃない!?  ( まぁ、ねぇ・・・・・。 )

    高性能・・・とはいえ、コンデジ の I さん は やや不完全燃焼気味!?


   しかし・・・ この写真で納得して貰える! のでは無いだろうか!?

   さぁ・・・ 朝一番で乗る 船 に心は向かって行きま~す!!!


   だからって・・・ 爆睡しなくても・・・ ねぇ・・・。


にほんブログ村 広島ブログ

2011年1月18日火曜日

二〇加煎餅の缶箱



    私の両親は物持ちが良いんです。

    私が、まだ子供の頃から家にあったような物を 今でも持っていますし。
    普段から、大事にして使っています。
    2人ともが物に対して、興味を持ちませんから
    いつ行っても、スッキリ・・・    ( 尊敬しますね~!!!! )

    この正月・・・ 久々に、両親宅での食事に行ったとき。
    ふとしたことから、裁縫が必要になりました。

    そこで・・・ 母が取り出してきたのが この缶箱

    うっ~わ~ 懐かし~い~!!! まだ持ってるんだね~! 
    妹と2人 思わず歓声を上げましたね~。

    子供の頃 福岡土産 というと 何かとコレだったような・・・。
    東雲堂 の 二〇加煎餅 ( にわかせんべい )
    お面も入っていたよ~な気がするなぁ~ 単に来店者への
    サービス品だったのでしょうか!?
    もとろん・・・それを 着けて ひとしきり遊んだ覚えがあります。

    久しく食べてないんですけど・・・ 懐かしくなって調べてみましたら。
    缶から箱に変わっても、このデザインは健在。
    そして・・・ この不思議なお面。
    博多仁和加 っていうのは 郷土芸能 なんですね!
    
    最近 郷土芸能に注目している私 一度、実際に観に行ってみたいな~♪




    にほんブログ村 広島ブログ

2010年3月21日日曜日

めかりでのゆかり



     久々に… 行ってきました!!!



     そして…


     めかりPA から眺める 関門大橋。


     実はこの眺め


     ミュージアムでの展示でも、初ではありませんね~




     3度…    ( ミュージアムでの展示上は2度。 )





     今、ここに立ち


     私の中に 期するところがあります!



     きっと…


     

2010年1月21日木曜日

館長と… その6  私はカモメ



   つばめ  さくら 

   花だけどWWにて。
   もしくは… 以前、紹介した
   山陽・九州新幹線直通列車の愛称が
   
   さ く ら

   …とくれば 「富士」 に 「はと」 に 「かもめ」 もありだろう…と
   思うのは、鉄ちゃんならではの発想。

   今回は…  か も め

   博多駅にて撮影。

   つ ば め と同じく、こちらも九州に羽ばたいている。

   結ぶのは 博多 - 長崎 間

   デザインは、やはり 水戸岡 鋭治 氏

   駅に停っている電車の顔を捉えたのですが
   この角度… どこか日本離れして見えるよなぁ~!!!

   JR九州は 伝統列車 の愛称に、特にコダワリを
   持っているものらしい。
   おそらく…場所柄 富 士 が 取れないのが
   残念で仕方無いに違いない… 本当かいな?!


   ところで…
   話題には関係無いけれど
   タイトルでピンと来る方は、宇宙船やの好きな方でしょう

   初の女性宇宙飛行士 
   ロシア の ワレンチナ・テレシコワ さんの 有名な言葉ですね!!!



  

2009年12月2日水曜日

しょうぼうじどうしゃ



   火の用心… カチン カチン…




   なんて、うちの近所で聞こえてくるまで あと20日余り…




   感想してますね~


   いえ、乾燥です。


   誤変換したのですが、気に入ったので残してみました。


   確かに、感想しているんです。


   鼻がムズムズ お肌も荒れます。




   地震 ・ 雷 ・ 火事 ・ 親父



   
   怖いモノ


   親父 の脱落が言われて久しいんですが…


   こんな時代だからこそ、ぴしーって 叱りつけてくれる存在も


   欲しかったり。


   脱落よりも 加わったものの方が多いような気がしてみたり。




   それにしても… 火事の怖さは昔から


   暖房器具が活躍する季節だけに 慌てて お出掛の時は注意!!!




   門司港駅 に 置かれていた 消防車!


   説明版が無かったように思いますが… 大道具のひとつなんでしょう。


   いい感じに古びています。 




   子供の時、持っていた ミニカー の中で


   大きな割合を占めた 消防車 ・ 救急車 ・ パトカー


   おとこの子を 惹きつけて止まない魅力がありますね。




   3つ子の魂なんとやらで…


   外見だけなら「男の人」になっていますが


   中身は昔と変わらず、時代に合わせて増量中なだけ。




   当然ながら…


   しばらく 眺めています。


   止められてられても見ようとしたことでしょう。


   自分の足で出かけ 、 ぐずらなくなったのが進化といえば進化。




   救急 ・ 救難 ・ 救援 ・ 支援 って言葉も


   人の心の深いところを探る何かがありますからね~


   昔と比べて、興味が薄れた訳では無いよなぁ。




   しかも… 40年近い歴史の中で


   揺らされる事も 多かったものなぁ。


   地震 の怖さも思い知らされたよ。。。   




   消防署を通る度に カメラを向けたい衝動に駆られます。


   駆られるだけじゃない…


   向けます


   きっと、必ず


   

   そういえば…


   デジタルカメラで撮った一番古い写真くらいに


   消防出初め式 がありました。


   

   デジタルって、初期の画像 観られたものじゃないんですが…


   ( 腕と相まって… )


   人にもよりますが


   私としては 300万画素が普通に出回り始めた頃に


   一応は確立したなぁ~ と思っていました。




   …とはいえ これも 歴史の1ページ


   いいなぁ~、と思う写真があったら 展示してみます。




   そんな訳で…


   慌ただしい年末を迎えていますが


   慌てず ・ 焦らず の気持ちを大事に 一月


   皆さんで 良い新年を迎えましょう!!!




   今日の展示は インフォ・スペシャル みたいな感じだね!!!










2009年12月1日火曜日

九州鉄道の中心地



   鉄道に関して…




   つばめ・ミュージアム を 始めてから 知った事があります。




   それまでは


   全体的に バランス良く 興味があると思っていたのですが


   実際には 蒸気機関車・路面電車(LRT)・新幹線・駅・橋…


   最近の興味は 草創期の鉄道にあるようですね。




   その時々の 興味の向き不向き もありますが…


   今年に関しては、そのように関心が向いていたということを


   今年、撮影した、多くの画像が語りかけてきています。




   最も…


   やや、不本意な例もあるのですが。。。




   京都 が それで


   

   「博物館、観ましたよ… 京都 なんですが 鉄道 が多いですね


   お寺や神社には あまり行かないんですか!?」



   
   まったく、おっしゃる通り…


   どんなに旅行に行かない年でも 京都 には日帰りで出かけて


   お寺や神社を巡っていたのですが…




   その頃は…


   想いでは 目に焼き付けておけばいい


   写真を撮ると 自分の目での印象が薄くなる…


   と思いながらの旅でした。




   それは、それで当たっていると思いますし


   今でも、そう思うのですが ・ ・ ・ 




   しかしながら…


   人の記憶なんて怪しいものです。


   よほど印象に残っていなければ


   ああ… ここも行ったよなぁ~ 程度にしか覚えていません。


   記憶も薄れ気味となり… 写真も残らず…


   …という、今にしてみれば 残念な状態。




   もっとも… 今のところ


   今年の、京都3編の公開が 十分とは言えてない状態なので


   その時は、もう少し 建物の写真も お見せできる予定です。




   さぁ…


   北九州編 を続けましょう!


   これも…


   鉄道の話になりますから… 興味を持って頂けますかどうか!?




   1889(明治22)年12月11日…


   九州最初の鉄道として…


   博多-千歳川仮停車場間 が 私鉄 九州鉄道 として開業します!


   機関車などは ドイツ からの輸入です。





   面白いもので…


   日本初の鉄道 新橋-横浜 に 神戸-京都 は イギリス。


   同じく 官設鉄道の 北海道、幌内鉄道 は アメリカ。


   神戸から 山陽路を西下する 山陽鉄道 も アメリカ。


   そして… 九州が ドイツ ですから


   それこそ… 技術の見本市のような状況です。




   その当時、すでに 先進国にて技術が確立しており


   安定した性能を得ることができたのは 日本にとって幸いでした。


   あちこち、ばらばらに輸入した事は


   無駄に思えなくもありませんが…




   その時の試行錯誤が 後の国産技術への移行を早める理由の


   一つの理由にもなったと思われます。




   1891(明治24)年4月1日


   鉄路は、門司 ( 現在の 門司港駅 )まで結ばれます。




   そして…


   写真は その当時の 九州鉄道本社社屋 です。




   1907年(明治40年)7月1日…


   鉄道国有法 により 九州鉄道 は解散するのですが


   この建物自体は その後も用途を変えながら 使われ続けます。



   
   九州の中心が 福岡市が移った後も 門司 は


   国鉄~JR化後まで 九州の鉄道の中心として


   あり続けていました。




   2003年(平成15)年8月9日…


   現在まで 奇跡的に生き残ってきた建物を 再利用する形で


   九州鉄道記念館 の 本館 としてオープンし


   現在に至っています。










2009年11月29日日曜日

終着駅は始発駅



 今日のタイトルは…



 学生時代に 特に親しんで読んだ


 鉄道紀行作家 宮脇俊三 さんの作品のタイトルから


 拝借させて戴きました。




 宮脇さんの 訥々とした 独特の文章は


 どこか汽車の ガターン ゴトーン という響きにも似ていますね。




 近年、一般的な評価が高まってきているようにも思います。




 さて…


 再び 門司港駅


 雰囲気満点の駅舎の中に入り 改札口を抜けると…


 これまた、雰囲気満点の終端駅。


 

 できるものなら、このような駅から旅立ちたいな~ 




 と思うほどに 大道具 ・ 小道具 の 舞台装置が揃っています。


 

 折角なので…

 
 全盛期の 門司港駅 へ


 ちょっと タイムスリップ してみませんか!!!




 一晩揺られた 夜行列車を 降りた


 私達家族 は


 同じ列車で旅を続けた方達と共に


 関門連絡船 に乗り込んだ。




 これが あの源平合戦の舞台であり


 長州一国が、徳川幕府に報いる戦いをした


 歴史の舞台として知られる 関門海峡なのだと


 ぼんやりと考える。




 先ほどから寝ている 幼な子を 私が抱え


 妻には 上の子の手を引いて貰う。




 身重の身には これでも堪えようが


 目指す 熊本までは まだ時間がかかる。


 申し訳ないが もう一辛抱して貰う他はない。




 門司の駅に着いた。


 洗面所で 顔を洗い少しさっぱりする。


 上の子は 煤まみれの顔を 鏡に映して


 私に おどけて見せる。




 一つ汽車は遅らせた。


 朝を食べて、ゆっくり向かえばいいことだ。




 家族は 先ほど眺めた 海を 今しばらく じっくり眺める。


 何となく足がそちらに向かった。




 今しばらくは 本土ともお別れ…


 今しばらく 少し目に焼き付けておきたかった。


 皆も、そう思ったことだろう。




 大陸に向けて船が出るということで、港は賑わっている。


 さぁ…家族の分だけでも 席は確保しなくては…


 

 …と、まぁ こんな感じでしょう。


 大正後期 から 昭和初期


 東京 なり 大阪なりから 新任地へ向かう家族…という設定。




 今なら… 飛行機で どん! でしょうし…


 どうかすると…


 週末くらい たまには帰ってきてよ! と


 言われかねない設定でしょう。




 門司港駅には…


 当時からの洗面所


 駅内食堂


 関門連絡船の連絡通路跡 等が残っていますから


 上の文章の 雰囲気も味わえますよ。




 私が旅を始めた頃には…


 まだ、この駅から 特急列車が 多数発着し


 その当時の よすが が強く残っていました。











2009年11月27日金曜日



   



   北九州まで来て…




   ふと機関車を見てみると


   車端の方に 小さい 札が差し込まれているのを


   見つける事が出来ます。




   気になんて 止める必要は無いんですが…




   しかしながら


   これを見て 旅心をくすぐられるのも


   また、旅の一つの形。




   これは その機関車の


   ベースとなる基地が 門司 であることを 示しています。




   例えば…


   京都 梅小路 の機関車 ならば


   「 梅 」 という札が掲げられています。




   やまぐち号が面白い…


   書類上


   機関車 C57-1 は 春~秋 にかけて


   梅小路運転所 から 山口運転所 に


   貸し出す、貸し出しを受ける という扱いを取るのですが…


   

   その 山口運転所 は


   元々の 小郡運転所 の 名称変更によって誕生。


   本来ならば 以降は


   「 山 」 なり 「 口 」 なりという札に 切り替えられるはずを…




   現在も…


   小郡 を示す 「 郡 」 の札を掲げて走っています。




   30年を超える やまぐち号 の伝統 と 懐かしいその姿が


   小郡 という 合併で消えた町名・名称への 郷愁 を生み


   それを 違和感も無く 維持させる説得力を持ったのでしょう。




   そんな エピソード 一つで


   運転に携わる方の 粋 のようなものを感じる事が出来ます。




   一度 正月 に走った時 機関士の方と話す機会があって…


   「 あら… 今日は 郡 なんですね…


   正月なんですし  でもいいんじゃ


   ないかと思うんですが… 。」 と


   「 松竹梅ですか!?… それもそうですねぇ~ ははは!!!」 


  




   




   確かに ここ 門司港駅 は


   往時の 関門連絡船 を 下船して


   ここに、九州への一歩を記した人達にとって




   また旅立つ 人にとっても


   「 門 」 のような存在であった事でしょう。




   それは… 今でも




   表玄関 こそ 小倉駅 や 博多駅


   福岡 ・ 北九州 の空港 に取って変わられていますが…


   歴史を語る 象徴的な玄関口 として


   今後も 人々に親しまれていくこととなるのでしょう。











2009年11月25日水曜日

ゼンリン地図の資料館



   小倉駅前から…



   
   アーケード商店街を抜けると、写真のような場所に出ます。




   9月27日に紹介した 常磐橋 は 目の前です。


   ( 最近、各展示に対して 県別ラベルを貼ったので


                         福岡 で簡単に出てきます。)



   橋を渡って ビルを見上げると…


   一番高いビルに ZENRIN の文字




   ああ…そうか 住宅地図やナビ地図で知られた


   ゼンリン の本社は 北九州だったなぁ。


   そう思いながら、近づいてみると…




   ゼンリン地図の資料館 とあります。




   私としては、ぜひ入ってみたい!!!




   幸いにして 今日は開館日のようです。




   地図を知ることは その土地を知ること。


   海外で描かれた 不正確で 地名表記も少ない日本図に


   Itukusima の文字を見つけます。


   昔の 宮島 が「港」として重要だったことが分かります。




   年代ごとに…


   次第に はっきりとしてくる日本の姿の中で


   寒さ厳しい地域だけが 以前のまま変わっていないことに


   測量の厳しさを思わされたり。




   伊能図の完成と…


   この国が 国家として 世界を大きく意識し始める


   年代が前後する事に 地図の重要性を再認識。


   また、沿岸測量は正確であるのに 山間部は空白であることに


   日本図の完成には さらなる苦心があったことなど




   地図を読むということは 行間を読むことそのものですね~




   最後に…


   展望室から 北九州の街 を眺めます。


   海・川・鉄道・道路・港・工場・山・ビル・住宅 etc ・ ・ ・ ・


   どこか見本地図を観ているみたいな景色であることが


   ちょっと面白く感じられるんです!!!




   私の 地図好きぶりが分かりますね…


   でも そんな私が苦手とする地図があるんですよ。




    σ( ̄∇ ̄;)?


   

   それは…



   
   略 図




   なんです。


   書く方の責任なのか… 読む方のセンスなのか…


   わかりませんけれど


   とにかく… よくよく困らされました。




   そんな訳で…


   正確な図を 手に入れようとします。




   まぁ… あまり正確で 周到に用意するのも


   寄り道の虫が疼き始めるので o(^^o)(o^^)o


   困るのですけれどね。。。