2011年5月27日金曜日

初夏の彩


   初夏の草花はいいですね~!!!

   というわけで、最近、撮りためた写真を一挙公開。






    ミュージアムを彩っている「花」の写真も入っているんですよ!


i INFO 軽やかに力強く!

   おはようございます。

   この頃・・・ これまでとは一線を画すスポーツカーをよく見かけるようになりました。
   ホンダのスポーツカー「CR-Z」。

   ハンドリングを楽しいみたいけど・・・騒音や燃費、環境の事を考えると・・・ と
   いう潜在的なニーズに応えていくからこそ、市中で見かける機会もまた
   増えていっているのでしょう。
   この好調ぶりを追走したいメーカーも出てきそうで、マツダも
   次期 RX-7 は、RX-9 という名前のハイブリッドスポーツ車になって登場する・・・
   という話もちらほらと・・・。

   2010年度にCMを放送した全1928社中、視聴者の好感度が最も高かった企業は
   「ソフトバンクモバイル」でだったことが、25日
   「第22回 日本のベスト・アドバタイダー CM総研フォーラム2011」で
   発表されました。

   そうなんですね 「お父さん」大人気なんですね~!!!

   今日の天気は 雨・・・ 気象庁は26日、近畿、中国、四国の各地が梅雨入りしたと
   見られると発表しました。近畿・中国は平年より12日早い梅雨となりました。
   冷え込みに、ご注意を!!!
   28日に沖縄に接近する見込みの台風2号の今後の進路にも注意が必要ですね。

   それでは・・・ 皆さん 週末も 健やかにお過ごしください!!!
   

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2011年5月26日木曜日

力強く立ち上がる橋に


   霊台橋は20mに満たないけれど、22mまでくらいなら出来る。
   それ以上は自信が無い・・・。

   総庄屋 布田 保之助 が、この土地を石工に検分して貰った結果でした。

   高さを稼ぎたくとも、高くなればなるほど、急に工事の難易度は上がってきます。


   とても、水を渡す「白糸大地」と同じ30メートルまでは上がらない・・・・・。

   
   とすれば・・・ 水を一旦、10m下となる、橋の面まで降ろして、再び上げる
   サイフォンのような原理を使う以外に方法はない。

   22mの高さの「橋」は種山石工に任せ、自らは水路橋成功の鍵となる
   サイフォンの試作を開始します。

   まずは「木」で試作しましたが、水の圧力に耐え切れません。

   次は「石」、大きな石をくり抜くことによって強度は十分となりますが
   問題は継ぎ目をどう処理するか?

   「漆喰」に着目し、配合をいろいろ変えてみては試すのですが、ことくごとく失敗。
   次に「溶けた鉄」を流し込んでみると、今度は石の方が割れてしまいます。

    そのうちに「八斗漆喰」を使った土蔵が歳月に耐えている事実を聴き及び、
   早速、その作り方を習って、試作を繰り返したなかから、
   ようやく、実用に耐える配合が見つかります。

   石工達も・・・

   前代未聞の高さにまで上げるために、石積みの工法について、
   検討に検討を重ね、ついに22mにまで上げることに成功!
   
   それに 布田 保之助 自力開発によるサイフォン水路 を組み合わせて
   ついに通潤橋は実現の時を迎えることとなります。

   その完成度の高さは・・・ それから120年間もの永きに渡り無補修で役割を
   果たし続けたことに現れていました。
   
   時々・・・ 中の汚れを取り除いてやるために、農閑期に
   真ん中から水を抜くための独特の構造が、いつしか有名になりました。   

   横に並べた3本の導水管は、日照りの厳しい年でも
   白糸台地100ヘクタールの水が枯れないよう綿密に計算されたもので
   あったことが、後の調査で分かり専門家を驚かせました。

   
   ところで・・・ この「橋」には欄干が無いことにお気づきだと思います。

   これは、とても珍しいことなのですが。

   これだけの高さにであるにも関わらず
   端でも歩かない限り、全く恐怖感を感じないのです。
   
   欄干を設けてないのは・・・。

   十分な広さがあること・・・ 何より、この「橋」が地域の住民でお金や、労力を
   分かちあって作られる、ぎりぎりの設計であるからです。

   

   静かな谷に佇んでいると・・・。

   かって、泥と汗にまみれて、
   
   石を担いだ人たちの声が聴こえてくるような気がしてきます。


   この方達と、生きる時代は違っているけれど

   なぜか、今も賑やかに槌音が響いているような、

   そんな現場の賑わい。


   力強く立ち上がっていく橋を頼もしく思いながら

   この先を生きる人の幸せをも願ったのでしょうか!?


   そして今、後の時代の人が訪れる。

   きっと、そう思っていた人がいたのだと。




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i INFO その余裕をどこへ向けるか!?

   おはようございます。

   広島市の 松井市長 は25日、市長に当選後広島県に対し「廃止の根拠を示して
   欲しい。」として検討を急いでいた広島西飛行場の廃止問題について、
   県が進める廃港・ヘリポート化を受け入れる意向を固めました。
   27日に市役所で行われる 湯崎知事とのトップ会談で最終判断として伝える予定です。

   定期路線が就航した空港としては、全国初の廃港となります。
   判断の材料の一つとしてきた「広島都市高速3号線」の工事が、すでに来年秋に
   迫ってきており、県と市は早急に、ヘリポートとして共同運営するための
   具体的な協議に入ることになります。

   これで・・・ 広島県の空港運営は、今後「広島空港」に集約される事となります。
   中四国の基幹空港として、アクセスの改善、路線の誘致など
   県と市が取り組まなければならない課題は山積みとなっています。

   今日は曇りがちの朝を迎えています。
   そして・・・ 昼頃から次第に雨り始める予報となっています。
   
   この夏・・・中国電力は電気の供給量に夏場の最大需要時でも15%の余裕が
   あるとしているのですが、今の全国の状況を見ていると、やはり節電を心がけることが
    いざ!・・・に備える準備にもなりそうですね。 その余裕を何に使うか!?って
   実は大きいことではないでしょうか!?

   それでは・・・ 皆さん 今日も お元気で~!!!


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2011年5月25日水曜日

通潤橋ものがたり その4


   「通潤橋のものがたり」・・・は4夜めにして、再び この場所へと戻ってきました。

   ここで、皆さん!!!

   これまでの写真も含めて眺めながら・・・ ちょっと想像を膨らませてみてください。


   仮に・・・ この「通潤橋」のある場所に 今の技術を使って、皆さんが
   「水路橋」を架けるとしたら、いったいどのような「橋」を架けますか!?

   もしくは・・・ どのような「橋」を架けたいですか!?

   これ以上の条件はあえて書かない事にしましょう・・・。


   けっこう難しいように感じられませんか!?

   予算は? 景観的な配慮は? 観光資源としての価値を持たせられるのか?


   現在だからこそ、当時より難しくなってしまう条件もありますね。

   例えば・・・ これだけの石積みを、人の手で積むことに価値が見出せる
   ものでしょうか!?機械で隙間なく削って積めば、強度は増しますが、
   果たして予算がどれくらいかかるものなのでしょう!?

   現在、よく使われている工法を使って、経済的に仕上げたとすれば
   今、このような景色を眺められたものなのでしょうか?


   実は・・・ 通潤橋の、この景観も 有名な放水の場面も、
   この当時の技術をぎりぎりまで煮詰め、挑んでいるからこその「カタチ」なんです。

   そして それは・・・ 当時の条件の何か一つが違っていただけで・・・
   私達は今とは、全く違った通潤橋を見ていたのかも知れないようなものなのです。

   ここまで積みあげてきた多くの なぜだろう!? こそ、
   この、通順橋 実現への道のりそのものなのです。   

 
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i INFO フレッシュ感覚でGo!

   おはようございます。

   広島県は、湯崎知事がマニフェストに掲げていた核兵器廃絶に向け
   県が果たすべき役割を話し合う「国際平和拠点ひろしま構想」の
   策定委員座長に、元国連事務次長で広島市立大学広島平和研究所の
   初代所長も務めた 明石 康 氏(80) の起用を内定しました。
   湯崎知事は、11月にニューヨークの国連本部で構想を発信する意向です。

   これからの時代に相応しい、広島からの平和メッセージの発信の手法について、
   湯崎知事の決断力に期待をしています。

   新しいブランド名は ピーチ(Peach)
   方向性も、そしてデザインも・・・ 従来からの「ANA」ブランドとは
   一線を画すものとなりました!

   全日空などが設立し関西空港を拠点に展開させる予定で準備が進められている
   格安航空会社(LCC)A&Fアビエーションの 井上 愼一 社長は
   大阪市内で会見し、同社のブランド名を ピーチ とすると発表しました。
   ピーチは「アジア発祥の果物で、若々しさや幸せなど前向きな言葉を
   連想させるとして、社内から出された500の候補の中から選ばれた・・・とのこと。

   今日・・・日中は晴れ、夜から次第に下り坂・・・となる予報の広島市内です。
   
   「節電」の夏がやって来る。 こんな時だからこそ、これまでの生活を
   見直していくきっかけにもなる。どうやったら快適に電力を抑えていけるだろう!?。
   雷が鳴るとなぜか心踊った、子供の頃の感覚って大事にしたいですね。
   ピンチをチャンスに転じさせる「夏」としたいもの!

   それでは 皆さん 今日も 健やかにお過ごしください!


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2011年5月24日火曜日

通潤橋ものがたり その3


   昨年・・・

  東大寺南大門の仁王さんを見上げた時・・・。

   その迫力ある姿もさることながら・・・これを、わずか2ヶ月余りで竣工させた事を
   事前に知っていたこともあって、より一層の感慨を覚えました。

   腕利きの仏師が揃う集団とはいえ・・・ 異例の突貫工事であり、
   現場では並々ならない苦労があったものでしょう。
   
   それを物語っているのでしょうか!? 夜のライトに照らしだされた
   仁王さんからは、今にも動き出すのではないだろうか? と思わせるほどの
   凄みを感じていました。

   詳しく調べる機会を設け 、いつか こちらも「ものがたり」にしたいですね!


   そんな話を思い出す・・・というのも。

   この 霊台橋  江戸時代までに架けられた橋としては・・・
   日本最大の「径間」(アーチの大きさ)を持ちながら、同じクラスの橋の、

   いぇ・・・実際には、径間が長くなっている分の試行錯誤があった筈なのですが。。。

   通常の工期の半分程度の期間で、
   石の切り出しから、積み上げを完成させているのです。

   こちらも、ちょっと考えられないほどのスピード工事なのだそうです。


   ・・・なぜでしょうか?

   霊台橋 の架かる 船津峡 は、ちょっと雨が降ると・・・1m程度は簡単に
   増水する場所で、木橋も架けては流されを繰り返したために、
   石橋が架かる直前は、舟で渡していたのだそうです。

   大水を何よりも恐れながら、工事を急いだのですね。

   ただ急ぐだけではありません。
   この工事が、どこよりも細心の注意を払って進められているということは・・・
   1847年の竣工以来 今も、往時のままの姿を留めていることにも表れています。

   名工の叔父に付いて、経験を重ねた三兄弟の長男として期待され、

   霊台橋工事の棟梁となった 夘助 でしたが、あまりの大役に心労を重ねたのか、
   工事後は弟達に譲り、自らは日々、彼らの工事の安全を祈り続けたとされています。


   通潤橋もそうなのですが・・・

   この隙間なく詰められた石組は見事という他ありませんね。

 
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i INFO 五輪招致中止後の広島に


   おはようございます。

   今の状況を考えると、やむを得ない決断でしょうか。

   22日、広島市の 松井 一美 市長 は2020年夏季五輪の招致検討委員会を
   開き、市長選での公約通り、招致を中止する方針を説明、了承されました。
   これをもって招致検討委員会は廃止に。

   私は賛成派でしたが・・・東日本大震災とそれに伴う福島第一原発の事故に対して、
   国の予算を大幅に割き、さらなる国民負担が避けられない状況となったなかで、
   国内候補地としての最終決定がされる前であった事に、むしろ安堵を感じています。

   大がかりな国費投入を伴う、夏季五輪の開催はともかくとしても、
   県と市ともに、観光立県を目指している現在
   広島を活性化させる何らかのイベント
   例えば・・・初夏のフラワーフェスティバルに対し、
   秋から冬にかけてのシーズンでに、新たに地域あげての大きな祭りを開催するよう
   検討してみてはいかがなものでしょうか!?

   広島の二大祭り!・・・と全国に知られるようになれば、集客効果は
   大きいのではないでしょうか!!!

   写真は・・・ 庭の紫陽花。

   広島は 今朝も雨が降り、空気がひんやりと感じられます。
   この雨、朝のうちには止み、午後からは晴れ間が覗くことになりそうです。

   それでは・・・ 皆さん 今日も お元気で~!!!


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2011年5月23日月曜日

通潤橋ものがたり その2


   深夜・・・ 私達の車は「通潤橋」を目指して走ります・・・。


   まだ? 道・・・ 大丈夫だよね。

   もう、しばらく走るようになるよ。 そうだなぁ・・・2時前には眠れると思うよ。
   それにしても・・・ よく、こんな山の中に
   あれだけの橋を架けたものだと思うだろう!?

   そうだねぇ・・・・・。

   
   皆さんも ここに来られることがあれば、きっと同じ感想を持たれる事でしょう。

   江戸時代・・・ 当時の日本の架橋技術の頂点に立つような素晴らしい技術が
   熊本の奥地に花開いていたのです。

   当時・・・

   人々は、木橋が流される度に苦虫を噛みしめながら、
   いつの日かの丈夫な橋の実現を夢見ました。

   今でも・・・ 度々、台風や大水による洪水や土砂災害に悩み続ける
   九州の地にあって、どれだけ 「丈夫で流されない橋」 が待望されてきたかは、
   想像に難くありません。

   「必要は成功の母」なんですね。
   肥後の石工のチームは、小さな橋から、少しずつ大きな橋を架けられるように
   少しずつ、技術を確かなものとしていきました。

   そんな高い技術を持つ彼らを、始終悩ませたのも、また「洪水」

   しっかりと櫓を組み、大きな石を一つ一つ積み上げてアーチを築くという事は、
   今の技術を持って行ったとしても、決して容易な事ではありません。
   
   ましてや、当時 今のように天気予報も無い時代、
   たとえ完成間近であっても、今のような仮設工事の材料や技術がある筈もなく、
   ひとたび大水が起こり、木で組まれた櫓が浮き上がってしまったなら、
   たちまちに、崩壊してしまう危険がつきまといます。
   
   そうでなくとも、石を積み上げる作業ですから、常に危険が伴い続けたことでしょう。
   完成して、櫓を取り去るその時まで、責任者は眠れない日々を過ごしながら、
   心労を重ねたと、今に伝わっています。
   
   
   写真は・・・ 霊台橋  です、肥後の石工が、架橋技術の粋を集め、
   心血注いで架けた、この橋の成功が、やがて次なる大目標となる
   「通潤橋」を成功へと導いていくこととなるのです。 


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i INFO その先へ

   21日、日中韓首脳会談のため日本を訪れていた中国の温家宝首相、
   韓国の李明博大統領が福島市内の体育館を訪問。
   膝をついて、被災者に声をかけて歩きました。

   今回の訪問で両首脳は日本に対して、風評被害の防止、震災復興や災害支援、
   原子力の安全強化を盛り込んだ首脳宣言を発表するなど
   両国が日本に対して配慮した形で、特に対中国関係の改善に
   つながるのかが注目されます。

   21日、テレビやドラマで活躍した俳優の 長門 裕之 さん(77)死去。
   近年は、認知症となった妻で俳優の 南田 洋子 さんの看病を続けていました。
   その南田さんの後を追うように、山を超え谷を超え、かってのおしどり夫婦は
   かの地で再び出会えている・・・と思えてきます。

   サンフレ1敗で6位ですか~。 J1厳しいっ!でも、今年は面白いですね~♪
   ところでカープ・・・ 先日の永川に次いで、大竹も戻ってきました!
   そして昨日は待望久しい栗原弾、今後への期待が膨らみます。

   ひんやりとした朝を迎えた広島市内、今日の予報は「雨」。
   そして・・・ 例年、食中毒が増えてくる時期となっています。
   食品の保存、生物、それに手を加える時はしっかりと材料、手指を洗って!

   それでは・・・ 皆さん 今週も 元気に行きましょう~!!!


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2011年5月22日日曜日

通潤橋ものがたり


   いよいよ通水となる、その日・・・。


   工事推進の総責任者である 矢部 の 総庄屋 布田  保之助 は、
   紋服の懐に短刀を偲ばせて、橋の中央に正座、その開通に臨んだと言われています。

   もしも・・・通水によって橋が崩壊したなら、橋と運命を共にする覚悟でした。

   いぇ 仮に・・・通水に失敗すれば、修復して「橋」としては活用できても、
   この架橋の要ともなる・・・複雑な構造を持つ「水路」として復旧を行うのであれば、
   一度、全てを解体しなければ不可能ですから、
   通水の失敗と共に自刃する覚悟であったものと思われます。


   そもそも・・・
   
   なぜ、彼は そこまでの覚悟を秘め、開通へと臨む気持ちに
   なったのでしょう!?

   周囲の水は豊富であるにも関わらず、谷が深く、長きに渡り
   不毛の地であり続けた「矢部」。
   
   総庄屋として、農民の困窮に心を砕き続ける日々・・・。

   水路橋を架けて、水を引くことが出来れば田畑は潤い、皆の暮らしぶりは良くなる。

   すでに・・・ 十代の頃から、そのアイデアを温めていたと言われています。


   年月は流れ・・・

   彼が、五十代になった頃・・
   それまでには例がないほどの大きな石橋の建設にも、目途が立つようになり・・・
   いよいよ念願であった、水路橋の建設向けて、着手することとなるのです。


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