2011年5月23日月曜日

通潤橋ものがたり その2


   深夜・・・ 私達の車は「通潤橋」を目指して走ります・・・。


   まだ? 道・・・ 大丈夫だよね。

   もう、しばらく走るようになるよ。 そうだなぁ・・・2時前には眠れると思うよ。
   それにしても・・・ よく、こんな山の中に
   あれだけの橋を架けたものだと思うだろう!?

   そうだねぇ・・・・・。

   
   皆さんも ここに来られることがあれば、きっと同じ感想を持たれる事でしょう。

   江戸時代・・・ 当時の日本の架橋技術の頂点に立つような素晴らしい技術が
   熊本の奥地に花開いていたのです。

   当時・・・

   人々は、木橋が流される度に苦虫を噛みしめながら、
   いつの日かの丈夫な橋の実現を夢見ました。

   今でも・・・ 度々、台風や大水による洪水や土砂災害に悩み続ける
   九州の地にあって、どれだけ 「丈夫で流されない橋」 が待望されてきたかは、
   想像に難くありません。

   「必要は成功の母」なんですね。
   肥後の石工のチームは、小さな橋から、少しずつ大きな橋を架けられるように
   少しずつ、技術を確かなものとしていきました。

   そんな高い技術を持つ彼らを、始終悩ませたのも、また「洪水」

   しっかりと櫓を組み、大きな石を一つ一つ積み上げてアーチを築くという事は、
   今の技術を持って行ったとしても、決して容易な事ではありません。
   
   ましてや、当時 今のように天気予報も無い時代、
   たとえ完成間近であっても、今のような仮設工事の材料や技術がある筈もなく、
   ひとたび大水が起こり、木で組まれた櫓が浮き上がってしまったなら、
   たちまちに、崩壊してしまう危険がつきまといます。
   
   そうでなくとも、石を積み上げる作業ですから、常に危険が伴い続けたことでしょう。
   完成して、櫓を取り去るその時まで、責任者は眠れない日々を過ごしながら、
   心労を重ねたと、今に伝わっています。
   
   
   写真は・・・ 霊台橋  です、肥後の石工が、架橋技術の粋を集め、
   心血注いで架けた、この橋の成功が、やがて次なる大目標となる
   「通潤橋」を成功へと導いていくこととなるのです。 


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