2011年5月24日火曜日

通潤橋ものがたり その3


   昨年・・・

  東大寺南大門の仁王さんを見上げた時・・・。

   その迫力ある姿もさることながら・・・これを、わずか2ヶ月余りで竣工させた事を
   事前に知っていたこともあって、より一層の感慨を覚えました。

   腕利きの仏師が揃う集団とはいえ・・・ 異例の突貫工事であり、
   現場では並々ならない苦労があったものでしょう。
   
   それを物語っているのでしょうか!? 夜のライトに照らしだされた
   仁王さんからは、今にも動き出すのではないだろうか? と思わせるほどの
   凄みを感じていました。

   詳しく調べる機会を設け 、いつか こちらも「ものがたり」にしたいですね!


   そんな話を思い出す・・・というのも。

   この 霊台橋  江戸時代までに架けられた橋としては・・・
   日本最大の「径間」(アーチの大きさ)を持ちながら、同じクラスの橋の、

   いぇ・・・実際には、径間が長くなっている分の試行錯誤があった筈なのですが。。。

   通常の工期の半分程度の期間で、
   石の切り出しから、積み上げを完成させているのです。

   こちらも、ちょっと考えられないほどのスピード工事なのだそうです。


   ・・・なぜでしょうか?

   霊台橋 の架かる 船津峡 は、ちょっと雨が降ると・・・1m程度は簡単に
   増水する場所で、木橋も架けては流されを繰り返したために、
   石橋が架かる直前は、舟で渡していたのだそうです。

   大水を何よりも恐れながら、工事を急いだのですね。

   ただ急ぐだけではありません。
   この工事が、どこよりも細心の注意を払って進められているということは・・・
   1847年の竣工以来 今も、往時のままの姿を留めていることにも表れています。

   名工の叔父に付いて、経験を重ねた三兄弟の長男として期待され、

   霊台橋工事の棟梁となった 夘助 でしたが、あまりの大役に心労を重ねたのか、
   工事後は弟達に譲り、自らは日々、彼らの工事の安全を祈り続けたとされています。


   通潤橋もそうなのですが・・・

   この隙間なく詰められた石組は見事という他ありませんね。

 
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