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2015年9月30日水曜日

橋の表情  時代は流れ、人は過ぎても



横川新橋 と




横川橋


同じ場所に立って見た、天満川に架かる、2本の橋。

ちょいとメジャーを持って測ってみたくなるほど、この2つの橋って
近い距離で隣り合っているんですね。

さすがに、メジャーはちょっと変な人になってしまいそうなので、
身近にある住宅地図にモノサシをあててみること、30mくらいでしょうか。
まぁ、そんなものでしょう。


あと、広島市内のデルタ上で、ごく近くに隣合っているといえば、
猿猴川に架かる、駅前大橋と猿猴橋もありますね。

これも、都市地図にモノサシをあててみます、
猿猴橋は、川に対し斜気味に架けられていますから、短い方で計って(的場町側)50mくらい。


天満橋と広電天満橋も、ごく近いですが、これは片方が電車専用橋。

猿猴川に架かる、稲荷大橋と京橋も近い。
こちらは、100m以上離れています。
ただ、さすがに広島駅の前を川が流れ、しかも京橋川から猿猴川が
分流していることもあって、京橋川の栄橋から東広島橋、猿猴川の大正橋まで、
わずか150m~200m超の間を空けながら11本の橋を巡らせています。



さて、ごく近くに架かる橋を、ピックアップしていくと、
あることが浮かびあがってきます。

それは、となりあう2つの橋は旧道と新道、それぞれの道に架かっているということ、
片方は、広島城の築城期や江戸時代からの歴史があります。


実際、周囲を散策してみると、
それぞれの橋とも、旧道の交通量の多さに気付かされます。


時代は流れ、人は過ぎても、古くからの道に、
人の流れは途絶えずなんですね。



2015年5月4日月曜日

萩反射炉




萩にある不思議な遺構!



先日、ようやく訪れることができた場所・・・


萩反射炉


大砲の鋳造に使われる施設とされますが、
眺めてみてのひとつ疑問は、小さ過ぎるように思えることでしょうか。


帰って間もなく、中国新聞6月12日付け朝刊に
この萩反射炉の関する記事が掲載されていました。


地元である、萩博物館の2009年から行った調査によれば、
この反射炉は1856年につくられた雛形(試験炉)のようなものであったようです。

本式に大砲を鋳造するのであれば、さらなる改良が必要とし、
砲身をくりぬく施設も必要となるなど、
資金調達が難しいことを記述した資料が見つかったとのこと。

静岡県にある 韮山反射炉 ( にらやまはんしゃろ こちらは実際に使用された。 ) 
ともに、全国でも2ヶ所のみ現存。

・・・とはいえ、こちらは、試験炉をよく残していたものだなと感じます。

そこに光の当たる建物ではないでしょうか!?


2015年5月4日 明治日本の産業革命遺産 として
各地に点在する他の22件の遺産ととともに世界遺産に登録されるように
ユネスコの諮問機関が勧告したと、政府から発表されました。

日本にある世界遺産のなかで、とりわけ新しい世代のものとなるこれらの遺産は、

これまでのなかで、ひときわ近代技術の価値を認めるとともに、
後世に伝えていくことの大切さを多くに人々に感じさせることになる
世界遺産ではないでしょうか!?





2015年4月30日木曜日

近くにある不思議



    例えていうなら・・・

    先ほどかかってきた電話を思い出しながら
    メモに書きつけているくらい の時間が流れているのでしょうか!?


    時間・・・

    地球が 今そこにある時間と比べて、私たち人類が生まれてからの時間は
    ほんのわずか かりそめのように短い・・・

    私たちが・・・ 時折 小さな羽虫を眺めながら その短い生涯に想いを
    馳せるのと 実のところ、あまり大きな差は無いのかも知れません。

    中国山地の中の観光地として知られる 三瓶山 は 実は火山・・・
    その三瓶山が、今から約3500年前噴火した時
    豊かな森林は火砕流に見舞われ、その直後に土砂によって埋め尽くされた。


    三瓶小豆原埋没林公園

    平成になって扉が開かれた、縄文時代からのタイムカプセル。
    樹齢が数百年に達する「杉」で覆われた森林の痕跡を残す木が30本
    樹皮も匂いもそのままという、驚くような保存状態のまま掘り出される
    こととなったのです。

    3500年は私にとっては長いけれど、地球にとってはかりそめの時間・・・

    私は この事を知った時、とても嬉しかった! なぜなら・・・ この頃から
    遠くよりも、もっと近くにある不思議に触れたい と思うようになり始めていた。
    
    事件や事実を調べるのに・・・ 現場100回 とよく言われるけれど
    とてもでは無いけれど・・・ あまりの遠方や海外などでは難しいものと
    なってしまいます。
    
    今は 静かに佇む 三瓶山 は火山だった・・・ それが大きな噴火を
    起こし、あたりの森が炎に包まれた。
    
    どこか別の国、別の時代、別の人たち のものように思えた 古代が
    目の前にあり、それらの木からは、微かに木の芳香さえ漂っているのです。
   

    そして・・・ 古期瀬戸内海 では海の底だった 庄原 では
    二枚貝の化石や、生物の巣穴を掘りだしました。
    これは、それまでに眺めた どんな化石よりも 自分自身に訴えるものを
    感じる。 今、手のひらの上にある!

    





    写真は 三瓶小豆原埋没林公園 にある木の根株です。

    かって、ここに大木があり、やがて老木となりその生涯を終えました。
    一本の木が倒れるとともに、その上で一本の若木が芽吹きます。
    倒木更新といわれる現象です。
     
    老木は朽ちていきながら、若木に栄養を与えます。
    若木は、老木をまたぐようにして根を張りながら成長。
    やがて老木は土に還り、若木は土台を失っていきます。
    宙に浮いた根は、自らを支えていくために肥大化。 根どおしが癒着。
    これは3本以上の根が癒着した根株なのだそうです。

    ( 以前は、合体木とされていましたが、近年の調査によって、現在はこのように説明されています。 )
    
    これこそ・・・ 今 目の前にある不思議 そのものでした。



    ※ 2009年展示ですが、写真の根株の生い立ちについて解釈が変わっているため
       内容を一部修正しています。
      


    

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2014年12月22日月曜日

並木通りは川




広島市の繁華街、本通りを歩いていると・・・


こんな石彫が埋め込まれていることに、ふと気づく。



平田屋川



川といわれても、この近くに川は無く、パッと見ただけで

気づく人は少ないには違いないのだけれど



 そう、これは 昔ここにあった川の名前。


今から思えば信じられないけれど、広島市内は以前は舟運が盛んであり、

その、舟の便を図るため開削された運河があった、その名前。


ちなみに・・・


この名前をひもとくと、広島の街が開かれた当時のの歴史が

蘇ってくるんですよ!




2014年11月4日火曜日

最初は真空管のお化けから!




昨日のクイズ・・・



どういう名前の機械かはわからずとも、写真をよく見ると

手書きで、文字が書き込まれていることに気づかれた方もいらっしゃるでしょう!


これはもしや!?と思われたなら、たぶん正解!!


あの丸の一つ一つは真空管。


そうですね! 黎明期は真空管を山のように使って

計算のための回路を構成していたといえば・・・


コンピュータです。


IT系の方で、黎明期のコンピュータというと、すぐに思いつくのは


アメリカ陸軍の開発した ENIAC や

ハバード大学 Mark-Ⅱ

ケンブリッジ大学 EDSAC なんて、


資格試験対策で覚えた方もいらっしゃるでしょう!



一般に世界初のコンピュータとして知れ渡っているのは・・・

ENIAC (エニアック) は

Electronic Numerical Integrator and Computer

( 日本人は、常にこの英語の省略形に悩まされますね。 )



ざくっと書くと、1943年頃から開発を開始、1946年運用開始!

総面積167平方メートル、組み込まれた真空管は、なんと17000本超え・・・


早い話、電球をめっちゃいっぱい使っているようなものですから、

当然、1/17000の確率で、切れる、切れる!


そのたびに修理、また修理。。


実績として、次第に こういう時に切れやすいとわかってきたので、

後には、ずいぶん改善したといわれていますが、

当初は、故障の合間に運用していた感じでしたでしょうね。


写真は 日本で最初に稼働開始した コンピュータ

FUJIC

あらら、、 これのことを書こうと思ったのに、前置きが。。



2014年10月1日水曜日

東海道新幹線開業50周年!




今日・・・ 10月1日、



新しい時代を象徴するかのような流線型に、青と白のライン。

ビュワ~~ン ビュワ~~ンと、東海道新幹線が走り始めて50年!



当時、これからは高速道路と航空機の時代になるので、

今さら鉄道でも無いのでは!?との意見も少なくないなかでの開業でした。


世界が驚いたのは、高速である以上に、高頻度であること。

限定的に160~200Kmで走ることならできても

毎時2本という頻度で運転するというのは、画期的なことでした。


( 今からみると、随分少ないですね・・・

それでも、新幹線開業前の特急を勘案しての強気の数字でした。 ) 



鉄道開業以来続く、1067mm幅の線路サイズを、

戦前、列車の高速化、輸送量向上のために導入の検討が進められていた、

1435mmという世界標準サイズにアップ。


従来からの線路とは完全にシステム的に切り離した、

高速列車専用のクローズド・システムとしたことが、大きな成功の要因になりました。


高速運転のため、航空機の設計思想も取り入れて車両を開発、

カーブもゆるやかにし、独自の信号システムや、

ようやく社会に浸透し始めていたコンピュータも積極的に活用。


 世界的にも斜陽産業と見られていた鉄道が

やがて、高速大量輸送手段として、再び脚光を浴びるまでに至る、

その第一歩を印しました!


後に、世界の交通地図を変えるまでに至ってきていますから、

戦後も日本で、

もっとも大輪の花を咲かせることになった

技術の記念碑ともいえるのではないでしょうか!?



もしも・・・


昭和39年の日本に新幹線が無かったら!?



それでも、やがて世界に高速鉄道の時代は訪れたものと思いますが、

今よりも 2、30年は遅れることになったことでしょう。


交通戦争といわれた時代の、事故による死傷者は、さらに増え

エンジンによる大気汚染は、今以上に深刻なものであったものと思われます。



確実、大量、高速、高頻度、低エネルギー



何よりも、50年間にわたり大きな事故も無く安全に走り続けてきて、

いまや大ファミリーとなった新幹線の未来が、

さらに明るく輝かしいものでありますように!


写真は、今日発売の記念切手です!



2014年9月18日木曜日

イズム





今・・・ 鞄に入れて、持ち歩きながら読み進めている小説。



海賊とよばれた男



国内大手石油会社 出光 の 創業者 出光 佐三 氏 の物語。



出光というと、私は石油大手としては、

珍しく馴染みと、イズムを感じている会社で







出光美術館(門司)



以前から、東京に 出光美術館 があるにも関わらず

出光 佐三 の出身地であり、創業の地である

北九州レトロ地区に 出光美術館を 設けたばかりか

これをあえて、分館と呼ばず、

兄弟館のようにしているところにも、出光らしさを感じます。



題名の無い音楽会



今どき珍しい一社単独提供番組であり、開始から50周年を迎えた

世界最長寿クラシック番組としてギネスブックにも登録されているとか!

( それが、欧州でなく日本というのは、凄いことだと思います。 )


また、この番組は 放送の途中にコマーシャルを挟まないという形態で

提供を続けている、珍しい番組でもあります。


私個人としては・・・ 番組開始以来、保ち続けているクオリティ

クラッシックにとどまらず、日本の伝統音楽、ジャズ、ポップス、ロック、演歌と

幅広いジャンルを紹介していること、


司会者と、アシスタント以外は

固定されない、各界からの出演者の幅広さを含めて、

地上波では一番、手放しでお薦めできる番組ではないか思います。


番組提供だけでなく、出光音楽賞や、新人賞受賞者コンサートなど

次代を担うクラシックの人材の発掘も手がけているなど

企業メセナの一貫性に驚かされます。




世界的な経済のグローバル化の進展により、

これまで以上に 企業にとって、イズムを失わないことが難しい時代になっていますが、


それ故に、イズムを持っている会社が

イズムを 保ち続けていく・・・ということに対する価値は

今後、一層高まっていくのではないでしょうか。





2014年9月8日月曜日

デゴイチ乗りたし!2014




今回の東京旅行は・・・


まず日にちが決まって、そのあとで予定を詰めていきました。



関東で蒸気機関車に乗れたら嬉しいけれど、難しいかなぁ・・・・・。



調べてみると、運転日がありました! ( こりゃ、幸先良いぞ! )



しかも、使いかけの「青春18」切符を持っており、指定券も取れそうです。

このチャンスを逃す手は無い!!



列車は 8月22日


高崎→水上 間を運転する SLみなかみ号



牽引機は C61-20号  あぁ・・・叶うものなら


JR東日本の蒸気は、まず D51-498号 に乗りたかったけど・・・

まぁ・・・ Go!です。



D51 愛称 デゴイチ



単一型式の機関車としての製造両数1000両超えは、ぶっちぎりの1位であり

もはや将来に渡って破られることのない記録でしょう。


戦前から戦後にかけて

それこそ、全国各地で活躍が見られた蒸気機関車で

デゴイチ と語呂の良い愛称で親しまれた、蒸気機関車の代名詞ともいうべき存在でした。



引退後、全国の公園や博物館などにに保存されたD51は約100両。



日頃から親しんできた機関車であっただけに、

地域の記念碑として、わがまちに残しておきたい・・・という希望も、また強かったのでしょう。

製造両数に対する、保存両数の多さは

鉄道にかぎらず、国内のあらゆる乗り物のなかでみても、

特筆すべきものだと思います。



・・・そのデゴイチも、今や営業線で列車を引っ張るのは JR東日本の498号機だけ。


ぜひとも、一度は乗りたい!!



( 長くなったので、つづきということで・・・ )




2014年8月26日火曜日

時を超えて伝わる気持ち




このほほえみ  癒されますね~~~!



静かな空間のなか  しばらく佇んでいると


遥か昔を生きた作者の方が、私の近くにいるような、


そんな不思議な感覚を覚えます!




東京を訪れる時、数時間ほど取れるなら


毎回、必ず訪れている場所・・・








東京国立博物館




そして・・・



決まって時間をかけて眺めることにしているのが


埴輪たちが並んでいる、考古のコーナー!



この時代の集落を訪れているかのような感覚を覚える


展示の仕方が素晴らしい!と思います。




今よりも随分と 遠い時代を生きた 作者 様


私としては 名を知る由もありませんが・・・  ありがとうございます!!






2014年8月12日火曜日

銅剣358本、銅矛16本、銅鐸6個




以前・・・


私が 古代出雲歴史博物館 に行った時


数ある展示のなかで、ひときわ印象に残ったのが



おびただしい数の 銅剣に銅矛、銅鐸・・・



もっと 驚くべきは、これらは 荒神谷、加茂岩倉という近い場所にある

2つの遺跡から、まとまった形で見つかったものということでしょう!



今回は、その遺跡のうちの一箇所、荒神谷遺跡へと行ってきました。


昨日の写真が、その発見場所。

左手に銅剣358本、右手に銅矛16本と銅鐸6個。


ここが見つかる当時までの総発見数をも上回る銅剣が一度に見つかったのです。

加えて・・・

銅矛と銅鐸が一緒に埋まっていた例は、今持ってこの一箇所のみというのですから、

発見当時の驚きのほどが伺えます!


写真右手、左手ともきれいに並べられた形で発掘されましたが、

現在も、何の理由で こういう形で埋まっていたのかについて

決定打となるような証拠は見つかっていません。








荒神谷博物館と、その周囲のハス園。


荒神谷にちなんでということでしょう。


約2千年前の種から育てていった 古代蓮


その古代蓮の池を、何組もの親子が一生懸命見つめています。


何かと思ったら ザリガニ釣り。



やりたいな~! 竿を用意するかぁ!!



あ~~ 日本ザリガニじゃないのかぁ~~



私のことですから もし、日本ザリガニだったら、本気で竿を用意しようとしたでしょう。



何でもないような事が、楽しかった時代を思い出していました。




帰って1週間後・・・ 蓮が満開!との便りが届いていました。





2014年8月10日日曜日

出雲の歴史に興味を持ったなら、一度は訪れてみたくなる場所!




出雲の歴史に興味を持ったなら・・・



一度は訪れてみたくなる場所!


ほ~ こんな場所なのか~



まずは 島根県立古代出雲歴史博物館で本物を見てみましょう!



2014年8月2日土曜日

近代化産業遺産の電車に乗って!



今回の高松行きの大きな目的となったのが


ことでん の この電車!



月に一度、高松築港から琴平まで一往復だけ運転されている特別な電車!


クイズにしようかと思うほどに古いこの電車、


何と生まれは1926(大正15)年!


琴平電鉄の開業にあわせて、汽車製造株式会社で製造されて

現在に至る、ことでんの歴史とともに走り続けている生え抜き車両で、

近代化産業遺産にも指定されています。



現在、動かせるな電車としては、最も古いうちの一両でしょう!

月に一回とはいえ、一般のお客さんを乗せ、他の電車と変わらない速度で

本線を走らせているというのは、考えてみれば凄い話で、

稼働状態を維持するのも大変でしょう。


この電車・・・


地元の人にとっても珍しい存在なのか・・・


途中駅で老夫婦が乗ってきた時

私達、何か間違えて乗ったのかしら!?といわんばかりの

不安顔になり、「この電車は特別運転のレトロ電車で・・・との

車掌の案内を聴き、安心した笑みを浮かながら、車内を見回したり



友達と話しながら歩いていた小学生らしき子が

この電車を見た途端・・・

不思議なものを見ているかのような顔をになり、じっと見つめていたのが

印象に残りました。






2014年1月21日火曜日

もしも 広島城が原爆で倒壊しなかったのならば・・・




こうやって あらためて見上げてみると 美しいなぁ~!!


城郭建築ってのは


日本建築美のひとつの頂点ですね!



今となっては・・・



偲ぶよすがすらありませんが・・・


かっての広島城は、日本屈指の大城郭を誇っていたのですよ!



それらの建物は明治に入って


ことくごとく破却されてしましましたが



原爆によって倒壊するまで残されていた天守閣は


毛利時代の創建当初のものであったとされていて



もしも 今も現存していたなら・・・



豊臣時代の城郭建築として、また 初期の完全な平城として


大変貴重な建造物であっただろうに・・・と惜しまれてなりません。





2014年1月14日火曜日

清神社




神社に行った時・・・  ぜひ 見ておきたいものといえば



御神木




私は、ご神木を見ると



それまで、もやもやしていた気持ちが スーッと晴れ渡るような


霧が晴れてくるような


空気がピンと張った空間を目の前にしているかののような



そんな 不思議な気持ちになります。



樹齢は、推定 700~800年


以前 台風によって倒れてしまったご神木の一部も、保存されていますが


これになると 1200年



この地が、今の立派な社殿が建てられる、ず~っと以前から


人々の 信仰の対象であったのだろうなぁ~ と思わせられます。






さて・・・ ここ  清神社  (すがじんじゃ) を



何によって知ったかというと、毛利元就の訓えとされる


チーム名が縁となって この地にマザータウンを置く、サンフレッチェ広島 が


毎年、必勝祈願!に訪れる事を かねてより ニュースによって知っていたからです。




昨年シーズンの ラスト


劇的な逆転勝利によって J1連覇 を成し遂げた!!・・・とあれば



ぜひ、行ってみたい!!



かって・・・



吉田郡山城から 出陣する度に、必勝を祈願していたとされる


毛利 元就 は 国人領主から やがて、中国地方を制覇するに至り



続く 孫の 毛利 輝元 が、築城地と定めて 埋め立て開拓工事をして


その基礎を築いた 現在の広島市 が


以降・・・ 一貫して 中国地方の中心として発展を続けています




その 毛利氏は 関ヶ原合戦を経て後、長い長い 雌伏の時を迎えますが


やがて、迎える 明治維新を前にして


再び その名を、日本国中に轟かせることとなりました。



どこか・・・ 制覇 ということに縁があるのかも知れませんね!?



施された木の細工 や 亀甲型の石垣


目の前にすると、思いの外 大きく感じられる社殿 に


かっての、毛利一族の繁栄を見ることができるのです!




2013年11月9日土曜日

場所の記憶




ここを訪れて眺める人は、何を感じて帰るのだろうか!?



多くの観光客の方と、すれ違いながら



私は、地元の人として想う・・・




これも場所の記憶のひとつ







2013年11月6日水曜日

文化財って何だろう!?




東京駅丸の内駅舎の高層化案が現実味を帯びた時・・・



現在地での保存活用を求める 大規模な市民運動が起こり


最終的に、現在地での保存活用が決まった事は



開発一辺倒の時代の終焉の音が近づくとともに



人々の 文化財や公共空間への意識が

これまでになく高まってきている事を印象づけるものとなりました。




私も これを今の場所のまま残すことができれば、

他も残されていくことになるだろう・・・と 当時思ったものですが



これについては、後に 広島でも大きな出来事がありました



福山市の 鞆の浦の開発論争が起こり

広島県主導での埋め立て架橋か、景観保存か、

住民を二分して揺れるなか


やがて 全国的な関心事へと発展していくこととなり


住民側が起こした訴訟で 広島地方裁判所が


国民の財産ともいうべき公益


・・・と表現して、鞆の浦の景観の普遍的な価値を認めることになりました。



個人的には、丸の内駅舎の保存論争から始まった

比較的新しい公共空間も、大切に保存活用していこうとウェーブが

ひとつの着地点をみたのが、この鞆の浦判決ではなかったかと捉えています。



古い文化財は、時の権力者の力、財力の象徴が多く、

見た目にも豪華絢爛なことが多いため、多くの人が価値を認めやすいのですが

新しい文化財は、公共的、民衆的なものが多く、今もって価値が定まっていないものが多い。


象徴的なものに 原爆ドーム があります。

この建物が、後に世界の人の知り、現在地に立ち続ける価値を認める

近代文化財になると  終戦直後 誰が想像したことでしょう!?