2011年4月22日金曜日
駆逐艦「柳」ここに・・・
実物を見るのは初めてだなぁ・・・・・。
今回、北九州に向かうにあたり I さん が、どうしても行きたがったのが、
ここ、若松区の防波堤。
これが、何だか分かりますでしょうか?
実は・・・ 軍艦なんです。
戦後・・・ 防波堤として、この地に据えられた
旧日本海軍の駆逐艦 柳
防波堤の先端から 船でいう、後部部分から撮影したものです。
私は・・・
子供の頃 軍艦模型が好きで、駆逐艦の模型も何隻か作りました。
説明書には、実物のデータも書かれています。
今、試みに・・・
昔から持っているけど、作っていない タミヤ ウオーターラインシリーズ の
駆逐艦「吹雪」 を眺めているのですが、これが 1680トン、115.30m
別に調べた 柳 は 1280トン、100m と、一回り小柄です。
今であれば、Wikipedia で調べれば、すぐなのですが
実物を眺めた後、模型や資料にあたるという工程は大切なんです。
この船は、1945年8月9日 (長崎に原爆が投下された日です。 )
青森県の大湊湾で空襲を受け浸水、擱座したとなっています。
その瀕死の船体を、武装解除、わざわざ 北九州市に回航して、
防波堤にした・・・というのは、少し妙な感じがしないでもありません。
まだ、何か事実が隠れているのでしょう。
写真の 柳 に加え、この写真右手の奥に続く防波堤には・・・
戦艦「大和」の沖縄特攻に参加した7隻のうち
大きな被害を受けながらも、帰還した
冬月、涼月の2隻も防波堤として使われています。
今は拡張により、完全に埋め立てられてしまったようですが、
これらが 決して、遠い時代のの出来事ではなかったのだ・・・と感じらされます。
戦艦や空母だと2000~3000人
駆逐艦でも200人前後の方が乗艦されていた、当時の軍艦。
その、数少ない残存艦の3隻が 今、この地にあります。
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