2011年2月15日火曜日

見よう見まね



   今日は ちょっと、ざっくばらん に お話したいと思います。


   見よう見まね・・・ という言葉があります。

   しかし、それも ここまで来ると 凄いなぁ!!! と思う方。

   一人は 江戸幕府 の 浦賀奉行  中村 三郎助。
   浦賀造船所 を開いた翌年の 1854年5月に竣工した
   初の 洋式帆船 鳳凰丸 は
   蘭学に通じていた彼が・・・ 黒船来航 の時 見学した経験を
   生かして建造したものとされています。

   性能は決して良いものでは無かったとされていますが、
   和船の技術を使いながらも 西洋式の構造を持つ船を
   見よう見まね で 作ったという事実には 驚くものがあります。


   もう一人は 国産草創期の蒸気船 の建造に関わった方。
   初の・・・としても良いかも知れません。

   こちらは・・・ 幕末の四賢候の 一人 伊達 宗城 の施政下、
   宇和島 伊達藩 の 技術者 前原 巧山 の手による。
   
   こちらも・・・ 蒸気船を見学したり、図面を写したりして
   自力で、完成にこぎ着けています。


   こういった技術は・・・ 通常、先進地の作になる 見本となるものを
   先に輸入し、扱い、メンテナンスの経験を経て ようやく 試作 に入るか
   (例:電気機関車、車、軍艦など。)
   
   技術者を招聘して、一緒に 試作となるものを作りながら技術を習う。
   (例:蒸気機関車)

   ・・・というカタチを取るケースが多いのですが

   この2件は、当時の日本の置かれた状況 と
   幕末~明治を生きた賢人達のパイオニア精神を物語るエピソードです。

   ぜひ、見習いたいものですね! 

   写真は・・・ 出航する 日本丸 訓練生がマストに登り
   登檣礼を行っているところ。


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