2010年2月20日土曜日

館長と… その15  再び客車を牽いた日



   日本の電気機関車の歴史は…


   蒸気機関車と同じく、海外からの輸入から始まりました。
  
 
   ある程度、纏めた数を輸入した形式もあるのですが…
   一形式、数両ずつしか輸入しなかった形式もありました。

   各国の技術を参考にするという理由は理解できるとしても
   これらの機関車を預けられた現場の苦心は
   相当のものだったろうと推察できます。

   国策とも絡み… 必ずしも性能の良い機関車が
   多めに輸入された…という訳でもありませんでした。


   目の前の機関車の保守に頭を悩ませながらも…
   熱心に研究を進める人達の姿も浮かんできます。


   そうした事を踏まえ…

   鉄道省 と 電機メーカー が協力して、国産電機機関車の開発に
   乗り出します。
   こうして完成したのが 習作 ともいうべき EF52形 です。

   東海道本線、東京口の電化が進展していくなか…
   1932(昭和7)年 追って、完成したのが

   EF53形 です。
   
   技術者 と 現場 の不断の努力が実を結び…

   わずか2作目にして、会心の作ともいうべき
   完成された機関車となりました。

   日本の 電機機関車製造技術は わずかの間に
   ひとり立ちすることに成功したのです。

   登場後 特急 つばめ や 富士 の先頭に立ち
   後継機に道を譲った後も
   1970(昭和40)年代に至るまで活躍を続けました。

   その後 広島は 瀬野-八本松 間の
   勾配用後押し機関車 EF59 に改造され活躍している姿を
   私は見ることとなったのです。


   この機関車…
   一両だけでも十分迫力がありますが…
   補機として使われるのは、通常2両1組

   長い貨物列車の、最後尾に往年の名機が並び
   後押しする姿は、今思い出しても迫力満点でした。


   H君と写真撮影に出掛け…
   いつ来るとも知れない 貨物列車を待っていると
   
   不意に… 仕事を終えた4両が一組となり 坂を下ってきました。

   あまりの迫力に
   ただ立ち尽くしていたことが忘れられません。

   おぃ… 写真…

   あぁ、そうだった…

   二人で後悔していました。


   そんな、改造機 EF59 にも引退の時が
   近づいてきていました。

   ある時… イベント列車の先頭に立つこととなったのです。
   
   親に懇願して、行くことを認めて貰うつもりが…

   またとない機会じゃないか…

   …とあっさり認めてくれたことも忘れられません。

   H君も、友達と一緒なら… と簡単に認められたそうです。 

 
   その日…
   客車の窓に、顔をすり寄せて 先頭に立つ、機関車を眺めながら…

   客車のデッキに立って、その軽やかな走りと
   汽笛の音を聴きながら…

   かって… 東海道を疾駆した日に 思いを寄せていました。

   このイベントは…
   EF53を改造した EF59 の最初で最後の晴れ舞台となり
   再び旅客列車の先頭に立つことはありませんでした。

   
   この時、先頭に立った EF59-1 号は
   現在も 碓井峠鉄道文化むら に保存されているほか

   EF52-1 号も 大阪にある 交通科学館 に保存されています。







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