2011年10月21日金曜日

大島点景 その3 戦艦陸奥の爆沈


この沖3Kmかぁ・・・


もう少し、沖かと思っていたけど・・・ 実際には大島に近いんだな・・・。

間違っていなければ、写真右手手前の島が福良島、
そのすぐ奥が長島、さらにうっすらと続島。
その奥側にうっすらと、大きく見えているのが柱島。

柱島 の名前を聞いて・・・

私たちと同じような感慨を覚える方もいらっしゃることでしょう・・・

柱島沖泊地

1943(昭和18)年1月12日、12時10分・・・

この地に停泊していた 日本海軍の主力戦艦 長門 型、2番艦 陸奥 は


突然・・・

3番砲塔から煙を噴きあげたかと思うと、直後に大爆発を起こし沈没。

その時の乗員1474人のうち、助かったのは、わずか353名という大惨事でした。

事故原因は・・・ 今もって不明とされています。



日本国内のなかでも・・・

瀬戸内海は、外洋と直接接することがないため、
敵からの攻撃を受けにくい、天然の良港として、
広島、山口県に付近に多くの軍施設が設けられていました。

柱島泊地 は、呉軍港に近接する軍艦の投錨地として知られています。

先ほどの、3km とは・・・

当時、戦艦 陸奥 が爆沈した場所です。

写真は・・・ 江田島の海上自衛隊術科学校 に残されている
1935(昭和10)年の改装時に降ろされた、陸奥の4番砲塔です。

現存する、日本の戦艦は・・・

日露戦争当時の旗艦 三笠 を除けば、

太平洋戦争時の戦艦は、全く現存してはなく、
砲塔が完全な形で残っている唯一の例なのでは!?

大和型46cm砲塔に次ぐ、長門型40cm砲塔です。


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