2009年7月10日金曜日

ぷくっとした彦根城



   なんだか 可愛らしい形をしているなぁ~


   そうで やんすねぇ !




   岐阜の夜明け以降 雨に降り続けられるので


   気分も萎え萎えなんですけど…


   ここまで来たんですから…


   駐車場に車を止めて 中に入ると 多くの観光客。




   あのぉ…雨なんですけど…  と言いたくなるくらいの盛況。


   皆さん気合いが入ってますねぇ~


   古い城独特の 急な階段も 登る気満々でしょ…




   私も 元気を貰って…  いざ攻略じゃぁ~!



   
   国宝4城の一つ 彦根城です。


   可愛らしい姿とは裏腹に 多くの戦いを見続けた場所。


   これまで スマートな形をした城を見る事が多かったので


   ぷくっとした姿が 印象に残ります。




   しかし 元気だな俺…


   安土城の時、広島に帰る事を忘れるなよ…


   なんて自重しようとは するのですけど。


   何かが背中を押す…




   何だろう!?




   やはり 興味 なんですね。



2009年7月9日木曜日

旅で出会う生き物たち  カニ見っけ…



   萩城のある 指月山の中腹まで登ったのですが…




   カニが横切る…


   びっくりするじゃん…


   どうも カニは水のあるところにいる感が強いもので…


   

   しかし この アカテガニ 水の少ないところでも


   生きることができ


   むしろあまり水に浸かっているほうが良くないらしい。


   へぇ~



夢幻のごとくなり…



   人間五十年


   下天の内をくらぶれば


   夢幻のごとくなり。




   あまりにも有名な「敦盛」の舞ですね。


   織田信長の 駆け抜けるがごとくの生涯を


   これほど言い表した文章は他になく


   人々の印象に深く刻まれます。




   そして この安土城後ほど 彼の人生の表した土地もなく


   人々の郷愁を誘い、引きつけるのです。



   
   あの有名な 天守 …  その存在した期間は10年に


   満たないのでは?  いづれによ短い。


   議論の余地があり 研究が進められています。


   現在の天守の形も ルイス・フロイスが残した文章


   などを参考にした 推定復元です。


   もしも 本当の天守の姿が判明する日があれば


   あっと驚く姿なのかも知れません。




   こんな話をしていると…


   私は 本に書かれている 


   ヴェルディのオペラ ファルスタッフ というものを


   一度は見たいよなぁ~ なんて疼きます。




   対照的な感じがします…




   齢 80になった大家の 最後の作品は喜劇。


   血を流させたら 越一流 と言われたヴェルディの


   最後の作品が 喜 劇 だったとは…




   あ~ん 見たいよう…


   生 敦盛 もまだ見てませんぜ…


   まだまだでんな。




   人生に  興味と 喜びと 長生き  を !






 

2009年7月8日水曜日

旅で出会う生き物たち



   旅をしていると 様々な生き物に出会います。


   今回の 萩、石見は特に 自然の風景の中で印象的だったな。




   萩 大照院にて…


   そろ~り そろ~り


   アオイトトンボの仲間だと 思うのですが…


   特定しきれていません。




   お手軽、展示追加ですけど…


   狙ってますがなぁ~  (何で関西弁…)












  

安土が招く



   都を後に 御一行…


   琵琶湖を望みながら 近江の道を 一路東へと辿ります。




   ぴ ょ ~




   汽笛の音が聞こえやすね…  館長、あれに乗ってるのかな?


   おっ! あそこ、手を振ってるぞ…


   おーぃ おーぃ !      …行っちまったなぁ~。




   さぁ、着いたよ!


   えっ、これを登るんでやんすか…


   だらしねぇなぁ~  ほら ちびでも…  と思ったが…  


   体が小さすぎるな、  こいつは俺がおぶろう。




   実際の旅では 明治村にほぼ1日をかけてしまい


   2日目は 小雨ながら、犬山城、岐阜城と巡る予定。




   だったのですが…




   車を動かした途端、動くのもどうかと思うほどの大雨に。


   天気を聴いても、三河地方は大雨との予報。


   西は弱め ならば、広島へ向けて 少しずつ下りながら


   回復を待つ方がと思い 無念ながら この2城を諦めることに。




   そして 観光の最後に 辿り着いたのがオプションもオプション


   だったこの城跡。 数分前までの小雨が 嘘のように止み


   足場の悪い 階段を登るのも問題無く…




   岐阜よりも 安土を見せる理由とは何でしょう?


   信長公に聴いてみたいですね。


   東海道線を通ると いつも目の前に見えてくる安土城


   いつかは登ろう…との夢を叶えたのです。






2009年7月7日火曜日

汽笛一声!  夜汽車の旅路



   そろそろ 広島に戻る列車に乗りましょう…




   広島開業に合わせて 開業から少し日の経った


   明治27年(1894年)7月7日に時間を合わせ…


   日の傾いた 新橋停車場からの列車に乗ることとしましょう。




   当時の時刻表によれば…


   新橋を16時45分に出る列車は 翌日の12時50分神戸着


   急行は まだ無いようで 各駅に停車しながらの


   東海道中だったようです。




   私は東京芸大収蔵の 赤松麟作 「夜汽車」 という絵を


   学生時代 美術の教科書で見たのですが 


   今の時間がちょうど こんな感じだった事でしょう。




   当時は 潮風がさわさわと撫でていたのでしょうね。


   新橋停車場を 後に汽車はゆきます。




   汽笛一声 新橋を はや我が汽車は離れたり


   愛宕の山に入り残る 月を旅路の友として ♪




   写真は明治村の汽車。 厳密にいえば


   違うものですが 当時の風情をよく残しています。


   ちなみに 神戸からは13時45分発 22時16分 廣島着が


   山陽鉄道 廣島開業時刻表に示されています。




   今週は頑張ってんなぁ~ですが これで一段落。


   さぁ、関西編ですよ。







   

土地は語る…   新橋停車場跡



   広大な土地を囲んだ柵…


   

   合間から写真を撮ることも叶わず…


   …かといって 足早に立ち去る気にもなれず。




   ちょうど昼時


   遠くを歩いていた方が こちらに向かってきました。




   どうしたのですか…




   柵に張り付いて悄然とする若者 …どう見ても不審ですね。


   何か聴けるかも… 私は一切を話しました。


   どちらから? 広島… う~ん遠いなぁ。




   ちょっと待ってください、鍵を取ってきましょう。


   30分程度しか時間が取れませんが 案内しましょう。




   地獄に仏とは このことでしょう。 




   鍵を開けて 柵の中の荒れ地に 招じ入れてくださいました。




   それにしても 広い空間…  人影も見えません…




   これが、駅舎…ホーム 礎石です。


   これは上水の跡だそうです。


   まだ発掘は続いています… 現在、駅周辺の建物を


   調査中です… あの辺りがそうです。


   時間の都合で 案内して差し上げる事ができませんが…




   年齢が 倍は違うだろうという若者に対して


   どこまでも丁寧な方でした。




   後に気づいたのですが…


   発掘調査中の遺跡の中に入った事。


   特に許可を得ていない事 から考えて


   責任者の方 だったのだろうなと。




   名前を言っただけで、礼状も出さなかった自分の


   非礼は 今でも心に残ります。



 
   そして もう一つ おそらく昼休憩を割くなどの不便をかけた


   にも関わらず 訪問が趣味の域であること…


   この時も 「私は 何をやっているんだろうか…」という


   想いが離れませんでした。




   そして その想いは 後に


   つばめ・ミュージアム に向かって連なっていくこととなります。




   良かったですね… 今はこうやって 公開する方法があります。


   その当時の立ち位置さえも グーグルアース で簡単に


   特定できます。




   案外 面白いので 興味のある方は行ってみてください!



   
   当時 ビルの中に取り込まれるかも… までと案じた


   0キロポストは 史跡範囲を駅舎まで拡大のうえ


   再び埋め戻され その上に立つ 復元新橋停車場とともに


   今でも その場に見ることができるのです。




新橋停車場跡  資料写真







2009年7月6日月曜日

いにしえの面影…



   駅まで戻ってきました…




   何も無いですね…


   日本最初の鉄道 新橋~横浜 間の新橋停車場跡です。




   時間は少し戻り、1992年9月7日12:00頃です。


   仙台藩江戸屋敷… 新橋停車場… 汐留貨物駅を経て


   狂騒の舞台として注目を浴びた その場所です。




   日付の すぐ横に丸い石が見えますね…


   江戸屋敷の柱の礎石とのことです。




   そして 整然と並ぶ石は 停車場の駅の玄関付近にあたります。


   後方に向かって ホームが延びています。


   奥の茶色の建物は 浜松町の世界貿易センタービル。




   この時 私が目指したのは…


   左手後方、柵に囲まれている 日本の鉄道0キロポストでした。


   今後 どうなるかわからないこの土地に 危機感を覚えて


   遠征してきていたのです…



   
   しかし目の前の柵…   どうする事もできません。


   この土地の その当時の状況からして


   当たり前のことだったのですが…  (浅学の成せる技です。)  



   
   申し訳ないけど、あそこだけは…




   そう…答えて下さった方が いらっしゃいました。


   この方の好意によって 今日のこの展示があります。




2009年7月5日日曜日

鉄道局 新橋工場



   明治22年(1889年)建築というのですから


   もう 軽く100年を越えた この建物…


   実は 初登場ではありません。




   明治村では 先日、紹介した御料客車を


   収めるために 使っています。



   
   どこか モダンな雰囲気が漂っていますね。



   ※ 年号を間違えていましたね…修正しました。




2009年7月4日土曜日

何にしようかな…












   豪華なテーブルウェアが並びます…


   東京は目黒区上目黒にあった 西郷從道 邸


   建物以上に 興味を持ってみていました。


   皆さんでしたら これに何を盛りつけますか?



2009年7月3日金曜日

天空を目指せ!!!








  今日は ちょっと…別なお話。








  2008年10月11日の夕方…



  乗鞍岳登山のガイド同行 バスツアーに参加する私は



  広島駅高速バスターミナルにいました。




  翌日一番で 乗鞍スカイラインに入り


  乗鞍岳登頂を目指します!




  山陽 名神 東海・北陸道を突っ走り



  高山で歩みを止めたのが 午前3時



  トイレに降りた時の 寒かったこと…




  そして かってないほど 満点の星が夜空を埋めています。



  星図なんて無くとも 天の川 や プレアデス星団が



  じっくり観察できるのです ♪




  いつか3000メートルからの景色を眺める…



  発想はいいとしても…  こればかりは お天道様頼り。



  3回はチャレンジしよう… その心づもりで予約したのですから



  せめてでもの 救いです。




  果たして 翌12日は快晴!



  周囲の景色の素晴らしいこと…



  惜しむべきはカメラ。 試運転段階で 絵が優れません。




  これほどの 快晴に恵まれることは 多くありませんよ…



  登山ガイドさんの言葉が 全てを表しているような登山行でした。




  初心者でも気軽に…の乗鞍岳3025.6mですが



  空気が薄いため、やはりそれなりにですね。




  帰りは 下の温泉で旅塵を落とし



  事故渋滞の影響を受ける 名古屋を避けて



  東海・北陸道を北進 日本海を経由して帰広。




  つばめ・ミュージアムは開館前だったため



  展示としては使われませんでしたが



  エピソードとして 触れているところがありますね。



2009年7月2日木曜日

チンチン電車からLRTへ…   カラー図鑑















説明

  今日は カラー図鑑みたいに話してみましょう…


  

  明治23年(1890年)、東京上野で開催された




  第3回内国勧業博覧会にて 日本初の電車が走りました。







  その後 明治28年(1895年)


  京都に日本初の路面電車が誕生。




  1枚目の写真は その京都市電の一両 狭軌1形


  明治43年(1910年)から明治44年にかけて


  製造されたグループのうちの1両で


  現在 明治村にて動態保存されています。




  現在は京都市内の 梅小路公園内でも


  動態保存されています。






  2枚目は 広電100形  昭和59年(1984年)に


  大正元年(1912年)の創業当時の電車を再現したものです。


  営業線を走れることを 目標にしたこと


  過去の部品、資料が少ないことなどから


  完全再現ではありませんが 雰囲気は良く出ていますね。 




  創業当時のメモリアル車両を修復 再現し 保存、活用を


  目指すという考え方は 当時としては画期的で


  全国の鉄道業者に影響を与えることとなりました。







  3枚目は 広電1900形(元 京都市電1900形)です。


  移籍してきた14両全てが 現在も主力として活躍中。


  昭和30年(1955年)から1957年に製造された


  グループで 昭和53年(1978年)9月30日の


  京都市電全廃の日の 最終電車をつとめた車両も


  走っています。




  全国でも 京都に関しては淡々と廃止が進んだ感じはなく


  市民の反対運動も大きかったようです。




  京都と広島 この2つの 電車の明暗を分けたもの…


  単純に 街の大きさというだけではないようです。




  広島は 存続の危機に陥ったころ 当時の県警の方々が


  軌道敷内への自動車乗り入れ禁止を決断をしました。


  これが大きかったようです。




  この話は有名で 鉄道に関わらず


  当時の地域行政としては 画期的な判断であったと


  思われます。




  結果 定時性が確保され 交通機関としての信頼を回復して


  いくこととなりました。  諦めなかったのですね。


  これは現在でも 違反を見ないほどに守られています。




  4枚目は 熊本市交通局0800形


  2009年4月1日 運行開始というのですから


  私は ちょうど2ヶ月目に乗車したことになります。


  富山にも同型がいますが


  現在 最新鋭のグループと思って差し支えないと思います。




  さて 一気に話してしまいました…


  ここまで お話にお付き合い戴いた方が いらっしゃるのなら


  本当に ありがとうございます。


  考えるほど 長い文章になるので 


  考えを纏めて 一気に書いてしまいました。




  最後に…


  一気呵成に廃止した大阪。


  反対運動の中で廃止を進め いまだにくすぶる京都。




  もうひとつ 全てを潰しきるつもりで進めて 最後の最後で


  疑問が生じて 腕を振り下ろしたのは 東京でしょうか?


  今や 自慢の種にさえなったような 都電を見るとき


  そう思うのです。



待ち合わせは…



    おう 遅くなったなぁ~




    きゃん!


    さて、これで 関西勢…揃いましたね。


    旅は長いですよ…


    頑張って こちらも 巻き返しましょう…


    おうっ!   へぃ!   きゃん!




    …と 一同が集まったのは


    記憶違いでなければ


    大ヒットした…先生の撮影地のひとつでしたっけ?


    間違いか…(汗)




    お手軽…だな。


    
    注 この京都国立博物館は、7月13日(月)までの期間
 
       
       休館中です。 お出掛け時 注意してください。



2009年7月1日水曜日

懐かしき大阪の我が家












   ちび が出掛けた先は… 大阪市内…とある電車庫。




   昭和44年3月31日全廃というのですから


   うちの館長の年齢でも 引っかかりがありません。




   この写真を見て 懐かしさを覚える方は



   大阪市内に住まれた経験のある 40を過ぎた方でしょう。


   先日のサイクリングの時に立ち寄り


   江波車庫で許可をもらって撮影しました。







   ここには 広電900形(元 大阪市交通局2600形)が


   多数いることは知ってましたが こんな写真が撮れるとは…


   以前 写真で見ていた、大阪市電の風景そのままですから。








   彼らは昭和30年(1955年)製造開始の


   昭和44年(1969年)広電移籍ですから


   すでに 広島での生活の方が はるかに長い…



   それでも懐かしきは 若い時代を過ごした


   浪速の街の賑わいではないでしょうか。


   そんな訳で タイトルは フォスター作曲の作品より ♪







   あれ!?  ちび…


   きゃん!


   おやぶんさん達は?


   まぁ… お前も 京都に連れてってあげるね!







   

2009年6月30日火曜日

お召し列車



   私は ついに お召し列車を見ることが無かった。




   正確にいえば 最近、JR東日本が お召し電車を


   新造したのだし 天皇、皇后両陛下は 


   今後も 列車での旅を されるでしょうから


   お召し列車を見る機会はつくれるでしょう。




   ここで話すのは 機関車が客車を引っ張る 


   お召し列車のことなんです。




   昭和後期までは 多数運転されていた 


   この方式の お召し列車。


   平成に入って運転は激減


   わずかに 欧州王室の日本訪問時などに


   数回 運転されたのみとなりました。




   今となれば クラシックなこと このうえないのですが


   どこか馬車行列にも 似た姿が 郷愁を誘うのです。




   そんな訳で お召し客車を 観るのも初めてのこと。
   

   見所は 極めて精緻な 車両工作技術、伝統工芸の美。




   廃車後 明治村での公開に向けた 修理、保存工事の始終は


   御料車物語  田邊幸夫 著  ㈱レールウェー・システム・リサーチ社


   に詳しく書かれています。




   ちなみに… 私が見そびれてしまった 平成のお召し列車も


   正式な引退をしておらず


   現在も 東京は大井にある お召し列車保管庫の中で


   大事に保管されてます。





   

2009年6月29日月曜日

祝! 横浜港開港150周年


   今日 届いた郵便物の中から…


   日本開港150周年記念。


   うん 横浜港の開港から 150年を迎えたのだよね…


   先日 NHKの 歴史秘話ヒストリア


   なんぞ観て その気になってるよ…




   して その日はいつかな ?




   1859年7月1日 (安政6年6月2日)


   ん?   明後日…


   そぉなのね。



   
   それにしても なかなか いいデザインの切手


   久々に 水はがしでもして


   アルバムに入れておくとしよう。







   

日本一有名な!?猫のいる家



   に ゃ ~ ん







   縁側の猫が招きます…





   

   東京都文京区は千駄木町にあった この家





   明治中期の ありふれた民家の形とのことですが





   森鴎外、夏目漱石の2人が住んだことで 





   その姿を 後の世まで 留めることとなりました。









   2人が住んだ期間は 合わせても たったの4年





   しかしながら 森鴎外は 文壇デビュー直後の重要な時期。









   10年後に住んだ 夏目漱石に至っては 





   吾輩は猫である、坊ちゃん、草枕 と 珠玉の名作を





   次々と世に送ることとなった舞台なんだそうです。




   
   小説 吾輩は猫である は この建物の姿をよく写して


   いるのだとか…




   苦沙弥先生 や 迷亭君 も いるのかな!




   これまで2度、通して読んだことがあるのですが


   さすがに そんな読み方をした事は無いなぁ~




   つばめ・ミュージアム の物語 キャラクター達 も


   どこか この小説の世界を写したようなところが


   あるんです。  それだけに 印象に残ります。





   本は 幸いに つばめ・ライブラリーに置かれていますので


   ざっくりとでも 読み直してみようっと…




  

2009年6月28日日曜日

見かけるよねぇ~



  やっぱり


  撮ってた


  こんな写真…






  見かけるよね~ぇ


  なんて名前?




  調べましたとも…




  ガクアジサイ  ( 額紫陽花 )  




  なんだなぁ~。


  周辺の花びらだけが開き 額のように見えるかららしい…


  なかなか 味な名前をつけたもんだねぇ~ !




  ファンが多いのでしょうね…


  ネットで調べたら いい写真がたくさん出てきます。




京都に吹く風








   6月のうちに 訪れた方が良いんではないかな?



   そんな建物を忘れかけていました。

   …といっても 主力の関西勢は遅れ気味… 

   今回は 館員くん にも応援をお願いしましょう!

   彼は ある写真を携えての 京都入り。



   私が入った建物は 京都にあった 聖ヨハネ教会堂 です。

   京都の河原町にあったのですから

   信者が多く訪れる 賑やかな教会だったのでしょう。

   入った瞬間 あれ!? でした。


   何かピリッとした雰囲気が漂っています…。



   そうなんですね6月。

   もうすぐ結婚式があるのだそうです!

   明治40年に建てられたというのですから

   落ち着きがあり 雰囲気満点!

   まだ 新郎新婦の姿は 見えませんでしたが

   演奏の練習などが始められていて


   往事の面影を垣間見るようでした。