2010年4月29日木曜日

レトロフュチャー



    SF映画にでも出てきそうな

    レトロフュチャーな蒸気機関車…


     大正、昭和初期に流行した 鉄道 の 流線型ブーム。
       実用的な効果のほどはともかく、独特のモダンさがあり
      今でも、根強いファンを持っています。

    パネル を 眺めながら おっ…! と思った


    この機関車 パシナ号 も

    川重で生産されたもの。


    ちょうど 自社の生産 通算1500両目となったことを記念して
    文字を入れて 撮影されていますが その姿で走ったということ
    では無いようです。

    
    日本の資本と技術で 運営された

    南満州鉄道 の看板列車として

    大連 - 新京 間を 8時間30分 (後に ハルピン まで運転。)

    最高速度130Kmでの運転は

    国内と線路の幅が違うとはいえ

    日本人が設計、製造した蒸気機関車の最高速度となっています。


    当時としては珍しい 冷暖房を完備した客車で運転された あじあ号。

    試運転列車に招待された アメリカの報道関係者は

    世界一の列車だ… と伝えたとされています。


    明治政府の決断のなかでも 今に失敗とされる

    日本国内の線路幅1067mm は

    海外標準の1435mmと比べて狭く、高速運転に不利なことが

    早くから分かっていました。


    一時は、標準軌 への改軌が真剣に検討され、

    その時の 技術検討 は 当地にて生かされています。
    

    また、この機関車は…

    いずれ 東海道・山陽本線 の容量は限界に達するとして計画、
    
    一部で 土地の買収が開始されていた
    
    戦前の 東京-下関 間 の 弾丸列車計画 の
    
    牽引機関車のベースモデルとも見られていたようで

    そのまま、全長を伸ばして 車輪を増やしたかのような
 
    機関車の基本計画図 が残されていることは は

    ファンの間では有名な話しです。



    やがて、戰局の悪化に伴なって


    あじあ号 は運転を終了。


    弾丸列車計画 も中止となってしまいましたが。


    買収を終え、すでに掘削を開始していた 新丹那トンネル は

    後に 東海道新幹線 用として使用。

    買収されたが進んでいた土地の一部も 活用されています。


    また… 敗戦により 失業した 軍の技術者を

    技術流失 ・ 失業対策 のために 鉄道総合研究所 で引受け

    電気 ・ 航空 ・ 通信 ・ 機械 などの技術者が集ったなかで

    航空技術を応用した高速電車 という夢が語られることとなり
    

    当時… 鉄軌道では 不可能とされていた 200km 運転を

    実現させていくことになります。


    世界中の多くの国が採用している 1435mm幅 ですが

    その多くの国が、アメリカ、ヨーロッパ、カナダ製車両を輸入しています。


    もしも日本が標準軌だったら…

    敗戦により、アメリカの統治下に置かれた時に輸入され

    それらの機関車を使うことになったのではないでしょうか!?

    歴史の因果を感じます。


    パシナ機関車 は…

    その後… 長く 所在が分かりませんでしたが
    
    1980(昭和55年)夏、中国の蘇家屯機関区 にて

    流線型のカバーが外されている姿で、日本人が発見。


    その後、中国人の手により 往時の姿への復元がされ

    現在は 瀋陽蒸気機関車博物館 で保存、展示されています。





    
    

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