2009年10月18日日曜日

戦艦 陸奥 41㎝主砲塔



   先の大戦終了時まで…





   
   日本に 戦艦 として現役で浮かんでいたものは





   横須賀に 満身創痍の 長門 一隻があるのみでした。




   この 長門 ですら…




   すでに、補給する 燃料 や 物資 が無く




   沿岸防御用の砲台 として使われていたに過ぎません。






   
   呉軍港 に至っても悲惨で… かって洋上を駆けた




   海軍の主力艦が 何隻も… 防空用砲台としての機能も満足に




   果たせぬままに沈没 浅い海に着底し、無残な姿をさらしていました。






   こんな状態で終戦を迎えたものですから




   現在、日本国内に残っている戦艦としては




   日露戦争時の旗艦 三笠 が 横須賀に




   コンクリートに固められた状態で残っているのみです。




   

   アメリカ は ハワイ にある。



   日本が降伏調印を行った ミズーリ を始め



   各地に 多数残されていることを思うと





   ああ…日本は敗戦国なんだなぁ~ と実感できる訳です。





   

   写真の 戦艦 陸奥 41㎝主砲塔




   戦艦 陸奥 という船は… 戦中、長門 以上に国民に人気が




   あったと聴いたことがあります。




   今だったら 大和 でしょうが… 当時の 大和 ・ 武蔵 は




   秘密のベールの塊でしたから




   こちらに人気が集まって当然でしょう。






   しかしながら… 1943(昭和18)年6月8日に




   山口県の柱島沖で



   
   多くの将兵を抱えたまま 謎の爆沈を起こします。




   原因は今もってわからず、戦史の謎とされています。




   戦後になって一部部品の回収作業が行われまして




   山口県の大島にある 陸奥記念館 の他




   各地で展示公開されています。






   写真は 1935(昭和10)年の




   改装の時に降ろされた 主砲塔




   間近で見ると、なんとも大きいですねぇ~




   写真では、その迫力が伝わりません。





 
   これを 3つも並べた船を これまた何隻か並べて観れば




   そりゃぁ、世界を相手に戦ってやるぞ… という気を起こさせたとしても




   不思議じゃなっかったんでしょうね。








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