2009年8月28日金曜日

C62-1 広島に縁の深い機関車





   梅 小 路 蒸 気 機 関 車 館 に保存展示されている…

   蒸気機関車 C62 の 1号機 です。

   つばめ・ミュージアム でも スワロー・マーク の入った 2号機 を
   紹介していますが・・・

   この機関車…

  広島在住の方なら、ご覧になられた事が あるかも知れません!

   …と、いうのも

   平成6(1994)年 までは・・・
   当時の 広島鉄道学園 にて保存されていたからです。

   それは、どこだったかと言いますと・・・

   広島駅の2つ隣 向洋駅 から 海田市駅 方面へ向かう時、
   向洋駅 を出発して、すぐ右手…
   蒸気機関車 が展示されているのを 見たことが、ありませんか!?
   それが この 1号機 です。
   広島鉄道学園 の閉鎖に伴って 梅小路蒸気機関車館 へと移動してきました。

   そもそも、この1号機…

   敗戦の傷の癒えない、昭和23(1948)年
   山口県 の 日立製作所下松工場 にて誕生しました。
   
   戦時中・・・ 軍事物資輸送のため、大量に製造された、貨物用大型機関車「D52」の
   ボイラーを転用して製作されたため、完全な新製ではありませんでしたが
 
   戦後復興の先駆けとしての、大型旅客用機関車の新規設計、製作であり、
   竣工時の、関係者の喜びのほどが、今に伝わっています。  

   新製後、すぐに 広島第2機関区 に配置され、
   続く量産車に反映させるための各種試験に供した後、
   山陽本線で活躍しました。

   昭和25(1950)年に 東海道本線 に移動
   特急を始めとした、旅客列車の牽引機として華々しく活躍しましたが・・・

   昭和32(1957)年 東海道本線 の全線電化に伴って
   働き場所を再び、広島 へと移し…

   主に かもめあさかぜさくらはやぶさみずほ といった
   九州特急の先頭に立って活躍を続けました。


   この頃から・・・
   
   次第に、蒸気機関車の活躍の狭まっていくなか、
   ファンの心を捉えていくようになります。


   幹線用の、大型蒸気機関車が疾走する姿・・・ というのは、
   やはり、人の心を捉えて離さない、何かがあるもので、

   本州での、最後の活躍となった昭和40年台の半ばにかけて、
   多くのフィルムにその姿が収められ、
   今となっては、当時を伺う、貴重な資料となっています。

   昭和42(1967)年 山陽本線電化 に伴って廃車されたのですが…
   旅客用大型機、C62のトップ・ナンバーであることから、解体を惜しまれ、
   長く 山口県 の 小郡機関区 に大事に保管されていたところ…

   昭和51(1976)年になり 広島鉄道学園 に移動され、
   保存展示されることになりました。

   展示当初・・・
    新聞などにも取り上げられたことから
    祖父に連れられて 見に出掛けたことがあります。
    今となっては懐かしい その当時の写真は 今も残されています。

   今は・・・ 僚機である 2号機 とともに、梅小路蒸気機関車館 
   保存展示されています。

   残念ながら静態保存ですが
   再び、本線 と線路の繋がれた、旧京都機関区 に安住の地を得た
   1号機 は多くの人の目に触れられる幸せを噛み締めていることでしょう。

   皆さんも もし・・・ 梅小路にお出かけの機会があれば
   試作機として製造されたことから、今でも 2号機以降 とは相違点のある
   1号機との、その違いを探してみてください!


   ※ 2012年9月24日加筆を行っています。


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