2010年5月20日木曜日

その時…



    1995(平成7)年1月17日、午前5時46分…



    忘れもしない、あの日。



    前日、友人と 遅くまで電話で話していた私は

    明け方、地震で目を覚まします。


    ユラリユラリ、さほどの揺れでは無いけれど

    いつまでも、いつまでも揺れる


    体験したことのない 長い揺れに


    私は 遠くで起こった、大きな地震を予感しました。


    距離は200キロ程度 山陰沖か? 大阪方面か?

    高知沖? 福岡方面?

    
    福岡?


    電話しなければならない顔が浮かぶ。


    いや… 根拠に乏しい。

    距離はともかく 方向は不明なのだから。


    しかも… さすがに大都市とは考え難い。


    しかし、ひどい。


    津波やがけ崩れで 少なくない死者が出るだろう。


    遠い地で起こったであろう不幸を思い 涙が出ます。



    まだ眠い…



    朝、家族の声で目を覚ます。



    神戸 が大変なことになっている…

    
    ヘリからの映像…


    救助している様子がないけど…

    何をやっているんだ????



    病気というのは不思議なもので、普通の事には

    事欠いても、そういう直感だけは 鋭く働いていた。


    会社に出かけて暫く後 私は倒れます。

    悪性の風邪に罹っていたのです。


    40度近い熱が、数日 下がらないというのに

    不思議なもので 布団に寝ていると退屈になってくる。

    
    …かといって起き上がることさえ 自由にはならないのです。


    自然とテレビに目が向きます。


    人の名前が、ひたすら読み上げられる。


    …以上 死亡が確認された方です。

    …以上 安否の確認が取れていない方です。


    この時の風邪は 現在に至っても、私のワースト。

    なぜか、震災報道 を見続けることになりました。


    因縁というものを さすがに この時は感じていました。



    淡路島。

    学生らしい子が 崩れた家に向かって声を枯らす映像。


    おばぁちゃん… おばぁちゃん…


    病の身には、その声が 深く響きます。


    地震から数日後。


    不通となったまま 緊急路となっていた 鉄道線路。

    大阪 から 神戸 に リュック を担いで向かう人の

    列が見られるようになります。


    報道関係者 が その中の 一人で歩いていた男の人に声をかける。


    どなたのところに向かわれるのですか?


    その時の言葉。


    知り合いがいるわけじゃないんですが、神戸に着いたら

    この リュック の中の食べ物を配ってくるつもりです。


    そんな、ニュアンス。


    今も、心に響いています。

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