2009年2月28日土曜日

海を隔てて…


呼子大橋を中心にして拡がる


風景の右手は肥前名護屋城跡


秀吉の朝鮮出兵のために


築かれた拠点。



広島城は、その後方支援の役割を


担うがために、建設工事を急いだと伝えられる。


両国とも、多くの犠牲を払った後に、計画は失敗に終わる。



九州国立博物館に展示されていた


元寇の沈船から引き揚げられた「兜」



彼らは、何に期待して日本を目指したのだろう…


沈みゆく、船の中で何を思ったのだろう。



攻めるも、守るも、悲劇…



防人の悲哀も、今に伝わる。



そして


近代も…




そして、今



目の前に、何も無かったかのような景色



この先のいつまでもと願う。


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