2014年3月11日火曜日

それでも




3.11



毎年、この日が巡るたびに 様々なことを思います。



1.17 を超え



鳥取に続き 広島でも大きな地震が起こり



目の前で 建物のコンクリートにヒビが入っていくのを見ながら


今日の夜は体育館あたりに避難しているのかも? と思ったことも。



3.11



この揺れ方・・・


忘れもしない 阪神淡路の時と同じ揺れ



であれば 今、この瞬間に多くの人が亡くなっているというのに


ビルの窓から眺める外の景色 何も変わらない日常。




それから後



人と生活が消えた 陸前高田市の元の市街地に立った時


脳裏をかすめたのは



雲仙岳の土石流に消えた集落を目の当たりにした時のこと。


原爆が投下されて後の広島市内の写真。



津波被害をどうしようという時に、


みるみる 手の施しようがなくなっていく原発事故のもどかしさ。




もし、福島第一が手がつけられなくなったとしたら


どうやって東北で救援を待っている人を


助けに行けば良いものだろうか?と感じていた 3.12。




広島に住んでいる私は




やはり 時折 原爆と重なりあいます。




どう考えてみても、あまりに大きい犠牲。


60年間草木も生えないと噂されていた土地で


それでも生きていかねばならなかった方々の絶望感、孤独感。



原爆だけではない、広島から出征していた兵士に軍艦が


どれだけあったことか。



今、長い時を経て 再び栄えている街の姿をみて


どこかで喜んでくれていると信じたい。



それは、多くの方にとって 変わらない心情だと思うのです。





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