2010年7月15日木曜日

太田川放水路は守り続ける



    ちょっと大雨になる度に、水に浸かりよった…


 
    太田川河口部 の デルタ上 に 

    発達した 広島市 は

    水、薫る都 であると共に


    それ故に

    常に 水害 に悩まされ続けてきました。


    1945(昭和20)年8月…

    広島に原爆が投下されて、壊滅した街に

    追い打ちをかけるかのように

    わずか一月後の  9月17日  枕崎台風 でも

    さらに 県内で 死者・行方不明者 2000人 を

    出しています。


    それだけに…

    市内の洪水対策は、急がれたようで

    戦後の混乱収まらないなかで、工事が進められています。


    そして…

    昭和40(1965)年、完成をみたのが


    それまで、7本あった川の うち、2本の川を

    まとめる形で生まれた 太田川放水路 です。


    残りの5本 に 最大洪水流量 2000 立方メートル/秒

    太田川放水路 には 6000 立方メートル/秒 が

    流せるように設計されました。


    そして 迎えた…

    1972(昭和47)年7月9日~13日にかけての

    梅雨の大雨により

    最大洪水流量 6800 立法メートル/秒 と

    当初の計画を超える、流量 を 観測したようです。

    もしも その時、満潮だったら…

    
    しかしながら…

    太田川放水路 は その時 よく耐えて

    現在も 広島市 を 水害から守る

    要として機能し続けています。



    ※ 雨の日を7月14日としていましたが

      7月9日~13日に訂正しています。


     今回の参考資料は

      戦災復興事業史 (広島市)

      大正時代の広島 (広島市郷土資料館)

      どちらも、当館収蔵です。




   

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