2009年1月5日月曜日

なぜ、ここだったの?


何にせよ、新たに中心を定めるという
ことは、あらゆる感情が伴います。


吉田の里から出でて、中国の覇者と
なった毛利氏にとって、新たな中心地
が必要になるのも、当然の流れなのでしょう。



現在の広島市中心部はは、まだ大部分が海の中でした。

小さな寒村だったようです。

豊かな海だったのでしょう。(潜ってみたいですね。)

しかし、今にしても素晴らしいなと感心
するのは、中国の覇者となった毛利氏の
新たな拠点として、この地を選んだことです。


慧眼というほかありません。


どういう経緯で決まったのだろうか?

やっぱり、あそこでしょ…と思っていた?

風水?

秀吉の勧め?

なぜ、そんな事を思うのでしょうか?


築城は、埋め立てから始めたのですから。

(水を仕切っては、土地を作るところは

オランダと同じだね。)

難工事だったらしい…。(言われなくても
分かるけど。)


何にせよ、その後400年を超えて発展を
続ける広島の歴史は、この時に始まりました。


毛利氏にとって、何と短い広島の時間

だったことでしょう…。

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