2008年11月19日水曜日

広島の記憶

優れたものを、優れていると言うことって
重要な事だと思います。

大家の美術作品でも、最初はそうではなく
ましてや博物など、一歩間違えれば
ただのゴミ。何かの拍子で残っていたために
今も、見ることが出来るものが少なくありません。

何かの拍子…なんですが重要なんです。

たとえば原爆ドーム、解体し遅れているうちに
残した方がいいのでは…という話になった
というのが実際のところのようです。

後に世界遺産になるなどと、誰が思ったでしょうか。

実のところ国宝でも、史跡としても扱われて
いなかったのです。(世界遺産化の為に
国史跡に指定されました。)

誰が、世界遺産にしたのでしょうか。

例えば、厳島神社の国宝、平家納経の実物を
見たことがありますか?
教科書に写真が掲載されていますが、実物の
美しさには息を呑むものがあります。

広島にとって存在そのものが、当たり前すぎて
逆に価値を見出しきれていないような…。

良いものを、良いと認める。
残していく。

最初は全くといっていいほど生産性がないため
いつの時も弱い力になりがちなのですが。
その存在こそ、人や街の記憶になるものです。









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