2009年10月3日土曜日
それから
厳島合戦 の後…
毛利 は いよいよ 防長 攻略に乗り出します。
平行して 石見・出雲 攻略へ。
この辺を、話すには… まだ 取材不足 に 資料不足 かな。
尼子 の本拠 月山富田城 にも行ってないし…
山口 も こうみると 見るところが多いなぁ…
実感です。
前回の旅行も… 大山 の手前で終わっちゃってるし…
厳島合戦 は 当初、3回くらいで さらっと終わらせるつもりを
なんと 9回 分けて…
さすがに、陶 晴堅 が自刃 した時には
ちょっと、しんみりとしてしまいました。
それだけ、歴史上の 人物に感情移入してたって事。
それって、歴史を知るためには 必要な事だと思います。
まぁ、とりあえず…
そろそろ 舞台を 広島 から移しましょう。
さぁ、どこへ行く…
2009年10月2日金曜日
1261号
今日、紹介する 加悦鉄道 1261号機 と…
先日紹介した 加悦鉄道2号機 は…
実は 広島 に縁があります。
2号機 は 大正4(1915)年 ~ 大正15(1926)年 まで
1261号機 は 大正12(1923)年の新製 から
昭和9(1934)年 まで
簸上鉄道(ひのかみてつどう) 今の JR木次線 で
使われていたのです。
つまり 広島 にいた事があるのです。
肩を並べて走ったであろう2両…
どちらも 簸上鉄道 で使われた後 加悦鉄道 に
譲渡されていますから。
時間を違えて… なぜか、運命を共にする事になったのですね。
そのためでしょうか…
今も、仲良く並んで展示されています。
言うまでもなく ほとんどの機関車は
廃車後に、解体される例がほとんどですが…
加悦興産(株)は 早くから、自らの会社が持っている機関車の
歴史的価値を認識していたために…
今も、仲良く並ぶ姿を 見る事ができるのです。
印象深い丹後半島
今回のお出掛けの中で…
丹後半島 の景色は、本当に感激しました!!!
何度、車を停めたかな?
広島からだと遠い…
いつかは行きたいなぁ~ だった場所。
そりやぁ… あの辺りまで行くと つい 京都 に行ってしまいます。
行かはりますかぁ~
でも… それだけに、雑誌、ガイドブックなどでも
それほど見る事の無い、未知の場所は
ついに来たぁ~ ここだよ、ここ というよりは…
未知との遭遇
ところで… 最初に見た 福井の海岸
今、見ている 丹後の海
もう、色が違うぞ…
なんか明るい… そりゃぁ、山陰あたり よりゃ渋めだけど…
黒いけど… この明るさ…
もしかして… 演歌 が 福井 以東あたりから
急に増えて来るのって、そんな理由なのかなぁ~
2009年10月1日木曜日
鞆の浦の景観利益
実のところ…
私は 架橋に対して、最初から反対だった訳ではありませんでした。
行った事がある方なら ご存じかと思うのですが…
鞆の浦周辺の道路は、狭いんですね…
住民でなくても、日々の生活に不便を感じるだろうなぁ~という
のは分かります。 何らかの対策は必要でしょう。
ただ、簡単に気づく事もあります。
必要以上に、対策や整備が進められてないのでは!?
少し前に出掛けた 石見銀山 の事が、思い浮かびます。
その時にも書きましたけど… 石見銀山 の 世界遺産化 は
地元の方の 並々ならぬ努力の賜物でしょう。
あれほど、町並みが一つのテーマの下に 整備された例を
私は 他には知りません。
鞆の浦 も まず話合いありきで進められていれば
ここまで問題が、根深くならなかったのでは…
仮に開発が成ったとして… それは大多数の意見だからと
押し通して良かったのでしょうか?
今後の 地方分権 の進展に、不安を感じさせます。
今日、広島地方裁判所 で
住民に対して 初の 景観利益 を認める画期的な判決が
出されました。 鞆の浦 は 国民財産 とも。
これで、一息つけますね!
今日の判決 まで、景観存続 のために努力されて来られた方々に
ありがとうございます!
今後は 私も 推移を見守りたいと思います。
写真は 架橋、埋め立て予定地を 正面から撮影
ちょうど、真ん中あたり 行き止まりの道路から
橋が伸びてくる予定として、計画が進められています。
おめざ… 定番の味プラス
2009年9月30日水曜日
天翔る列車
まだ、明け切らぬ空の下
列車が 余 部 橋 梁 を渡っていきます…
写真っていうのは、ホント 撮る時間によって印象が
変わるなぁ~
家に帰ってチェックした写真は…
まるで、幻想の世界を駆けていくかのような雰囲気に
仕上がっています。
そして この 鉄 橋 を下から眺めていますと…
何か… 当時の人の、自然に対する さささやかな抵抗
というものに、感激します。 ( …って表現でいいかな? )
名所ともなり、全国の人に その名を知られる 近代建築の名作。
それだけ、元々の構造美があるんですね!
明治45年以来 長く、鉄道線を守ると共に 多くの方に無言のまま
語り続ける存在であったことは
もしも… 何ら予備知識を持たずに来たとしても
感じられた事でしょう。
多くの方の脳裏に 郷愁を残しながらも…
来年秋 までの 最後の1年を迎えています。
その後の厳島合戦
2009年9月29日火曜日
赤花そば と 出石そば
加悦SL広場 を離れたのが 昼前…
2日目 途中の エピソードから話すのも 何ですけど
順不同について、ご了承を…
昼を食べそこなったなぁ~ なんて思いながら
山道を走らせていたのですが…
京都 から 兵庫 に入って しばらく後
蕎麦屋 を 見つけたので入りました。
こだわりの蕎麦屋? それらしい事は書かれているんですけど
観光客の私には? いつになく あっさりした 蕎麦でした。
そこから もう少しの 出石 … 城下町で有名なところです。
行ってみると、ここでも 蕎麦 実のところ2度目なんですけど
前回は仕事、意識にもありませんでした。
先ほどの、赤花そば だけではお腹が膨らむまででも無く
少し贅沢かな と思いながらも 折角なので 食べ比べ。
味は違うのでしょうか?
出てきた蕎麦が 写真のもの。
色も黒く、味も… いつも食べる そば に近いかな!?
赤花 とは大きく違っています。
さて… 会計を済ませる時に 店員さんに… 赤花そば について
ご存じなのか? 聴いてみました。
ええ、私は地元ですから 知っているのかも知れませんが…
すぐ近くで、栽培したものを、そこで碾いて出しているんです…
との事でした。
地元で大事にされているのですね!
いかにも好青年といった 好感の持てる方でした。
普段、広島では 出雲そば を食べる機会が多いので
貴重な機会でした!!!
点 と 線
点 と 線 …
なんだか、名作推理小説のタイトルのようですけど…
これこそ 今回の、福井-鳥取 海岸線の旅 の
隠れたテーマかも知れません。
一応、地図 や ガイドブック を 拡げ
どこに行くかを 考えてみるのですが…
予定どおりに、なりそうな気がしません…
どれくらいの時間がかかるかも ざっとしか見当が…
点 を巡るのではなく、 線 を巡る旅…
そこの 線 の部分が曖昧なまま
雲を掴むような気持ちのまま 出発の日となりました。
3日間の時間、見る場所に関しては
一応、満足するまでは観ておく…
予定の場所を外す、予定外の場所を入れる…という事を
柔軟に行う。 鳥取終点に拘らない。
…という目標は。
連れがいたなら、ケンカにでもなりそうな話で…
単純に 旅 行 とはいうけれど 一人旅 と 二人旅
さらには 多人数の旅 では全く 種類の違う物だと思います。
( ちなみに 多人数の代表になると
ツアコン みたいになります。 )
果たして…
やはり…考えたとおり。
何度 海岸線沿いに車を停めて 眺めたか!?
自分の心の中まで、洗われていくような気持ちになって
眺めていたら… いいよ後の予定なんて
但馬 あたりが、終点になるかのぉ~ なんて思って。
シャッターの数が それを証明してます。
2009年9月28日月曜日
大阪-神戸間 開業!
日本初の鉄道 新橋-横浜 間の開通の 2年後…
今度は… 明治7(1874)年5月11日
大阪 - 神戸 間 の鉄道が開通!!!
工事の方も 明治3年3月の、新橋-横浜 間 着工に
遅れること… わずか4ヶ月後の 7月には 大阪、神戸に
鉄道出張所を設置、10月には 工事にかかった手早さです。
何で、開通が遅れたのか…
まぁ、詳しいことは解らないんですけど…日本初のトンネル の
栄誉を担う 石屋川、川底トンネル を始めとする3本。
加えて… 武庫、下神崎、下十三と 一気に 三つの川 に
これまた、日本初となる… 鉄 橋 工事 が行われています。
手元の資料に 武庫川橋梁 225メートル とありますから
最初にしては 立派過ぎるくらいのものでしょう。
…とまぁ、土木工事が大きな理由でしょうね。
歴史の授業では… 錦絵に描かれた
新橋-横浜 間 開業の 絵図が載っていたりするだけなのですが
そんな理由で
もっと知られていても いいエピソードではないかと思います。
そして…写真の 機 関 車 。
加悦鉄道2号機… 元を正せば、阪神間工事のため
明治6(1873)年に、輸入された、由緒正しい 機 関 車。
なぁんと… 日本に現存する唯一の スチーブンソン社 製です。
しかも… 触って、運転室にも入ることができます。
それでもって… 重要文化財 に指定されています。
京都府にある 加悦SL広場 にて。
みんなの課題
鳩山首相 の 温室効果ガス、2020年に
1990年比25%削減… なんて目標を聴くと
俄然、注目を浴びることになるんだろうなの 鉄道貨物。
実は、以前の 国鉄の分割民営化 の時に
多額の赤字 を理由に、全廃すら検討された事を ご存じでしょうか?
その昔… 貨物輸送 を 一手に引き受けていた時代がありました。
組織が大きいだけに… 急激なモータリゼーションへの対応が遅れ
急激に膨らむ 赤字 の前に 新規投資は抑制されますから
余計に、身の振りようを難しくしていきました。
今の目線で見ると…
鉄道貨物の全廃なんてとんでもない!
地球環境を考えたら必要! くらいには思われるんじゃないかなぁ?
…なんて、考えてはみるんですが、 ともかく
当時の趨勢の中 まな板の上の鯉 の状況でした。
僅か 20年少しばかり前の話です。
しかし… 鉄道 というものは一度剥がしてしまうと 元に戻すのが
本当に難しいんですね。
海外などの 趨勢を踏まえ 必要最小限を残す
ための苦心を経て JR貨物 は誕生しています。
この話… 今もまた
常に、話しはすり替えられていくんですね。
規制に守られているはずの… JAL の 巨額赤字
民間企業とはいえ… ドル箱の羽田は 完全な規制状態。
その発着枠を貰いたいが故に…
次々と出来る、不採算空港 への乗り入れに
付き合わざる得なくなる。
空港特別会計 の見直し…当然ですね。
写真は 矢賀にある JR貨物広島車両所 から出てきた
EF210-105号機 東海道・山陽線貨物の
主力機関車として、現在も製造が続けられているグループです。
2009年9月27日日曜日
めがね橋
5月の、九州編から 漏れていたエピソードの一つ…
霧島連邦 を下り、いよいよ SL人吉号 撮影に向かって
車を走らせていると…
めがね橋 の案内標識が見つかりました。
何ら、予備知識も無いけれど…
折角なのでと… 一度、ルートを外れます。
現れたのが この橋
説明板 によると…
架けられたのは 昭和 に入ってからですから…
先に紹介した 通潤橋 ・ 霊台橋 よりは ずっと新しい。
しかしながら 着工が 昭和2年、完成が 翌3年、
数千人の人が 汗を流した…とありますから
工事の大変さは 思ったほど変わっていないのでしょうね。
昭和37年までは、木材切り出しのトロッコ列車用
だったそうで、一度は見てみたかったものです。
廃線後は 人道として整備されており 私も渡ってみました。
いかにも 軌道跡 らしい地形が連なっているので
このあたりが 好きな人がいたら さぞ喜ばれるのでしょう。
周囲も 地元に人にとって 大事な存在なんだろうなぁ~ と
思うほど よく整備されていました。
それにしても、トロッコ…
近年まで、実情を知るのは 大変だったのですが。
そういやぁ… うちに…
7月30日に紹介した
乗りつぶしノート を見たら載ってるかしらん?
はて…?
おぉ… 確かに、飯野森林軌道 という廃線跡が載っている。
近年、熱心なファンによって 活発に研究が進められている分野。
資料探しは 難しくないかも…
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