神戸に、市電が走っていたなんて
知っている人は、何人いるでしょう?
あの三宮駅前を、ゴロンゴロンと
駆けっていたのですね…。
広島に移籍してからも
主力として使われました。
私の子供時代と共にあります。
現在は廃車が進み、2両
570形と1150形が1両づつ。
貴重な存在になりましたが
この2両は、通常運行されています。
保存と観光資源化、通常運行が
さりげなく行われている、好例でしょう。
私が幼い頃、1番乗りたかったのは
この神戸市電。
路面電車らしい姿が好きなのと
大きな車体で、乗りやすかったからです。
昭和40~50年代、多くの街で路面電車が
廃止となりました。
理由として、赤字とモータリゼーションが
挙げられることが多いのですが
赤字は、地下鉄時代になって膨んだ
事業体が多い(特に建設費が回収できない。)
事を考えると、確かに地下鉄のメリットは
大きいものの、便利さと対価ということに
市民がもっと関心を持っても、
良いのではないでしょうか。
(写真は、広島駅前の582号。)
2009年1月9日金曜日
初詣ラプソディ
「初詣」は字の如く、年初の1回目の
神社参拝の事になるのでしょうね。
年によっては、その1回だけという
ことがあったりしますが、年初から出掛
ける機会が多いと、やたら神社に参る
年があったりして。
私の場合は…
以下、動機…神社名…願い事
1日、天気に恵まれ、喜んで…初日の出(広島)…家内安全。
1日、いい初日の出で気分よく勢い余り…比治山神社(広島)…家内安全。
(おみくじは「 小 吉 」ホームランを狙わず、確実に当てていきまっしょい。)
2日、家族に同行…比治山神社(昨日も来たね!)…世界平和。
7日、道に迷い観念して…太宰府天満宮(福岡)…お導きありがとうございます。
初詣では無くなるが…
8日、叔父と出掛けた道すがら…佐用姫神社(佐賀)…もう無心(ネタが尽きた。)
7日は太宰府天満宮の隣にある
九州国立博物館にだけ行くつもりが
道を間違えて本殿に出てしまい、
「近くまで来たなら、参拝しなさい。」って
事だろうか?と思いながら、お参りする。
博物館を出た後、名物「梅が枝餅」を
買い食い。(焼きたてがウマィ。)
すでに4回、なぜかビックネームが
入って豪華。
予定されていたはずの、厳島神社は
まだなんですけどね。
(必撮、厳島神社、デジイチ。)
(写真は、道に迷った人に光明を
与える太宰府天満宮。)
神社参拝の事になるのでしょうね。
年によっては、その1回だけという
ことがあったりしますが、年初から出掛
ける機会が多いと、やたら神社に参る
年があったりして。
私の場合は…
以下、動機…神社名…願い事
1日、天気に恵まれ、喜んで…初日の出(広島)…家内安全。
1日、いい初日の出で気分よく勢い余り…比治山神社(広島)…家内安全。
(おみくじは「 小 吉 」ホームランを狙わず、確実に当てていきまっしょい。)
2日、家族に同行…比治山神社(昨日も来たね!)…世界平和。
7日、道に迷い観念して…太宰府天満宮(福岡)…お導きありがとうございます。
初詣では無くなるが…
8日、叔父と出掛けた道すがら…佐用姫神社(佐賀)…もう無心(ネタが尽きた。)
7日は太宰府天満宮の隣にある
九州国立博物館にだけ行くつもりが
道を間違えて本殿に出てしまい、
「近くまで来たなら、参拝しなさい。」って
事だろうか?と思いながら、お参りする。
博物館を出た後、名物「梅が枝餅」を
買い食い。(焼きたてがウマィ。)
すでに4回、なぜかビックネームが
入って豪華。
予定されていたはずの、厳島神社は
まだなんですけどね。
(必撮、厳島神社、デジイチ。)
(写真は、道に迷った人に光明を
与える太宰府天満宮。)
2009年1月7日水曜日
年賀状のやりとり、コメントをくださった方へ
2009年1月5日月曜日
なぜ、ここだったの?
何にせよ、新たに中心を定めるという
ことは、あらゆる感情が伴います。
吉田の里から出でて、中国の覇者と
なった毛利氏にとって、新たな中心地
が必要になるのも、当然の流れなのでしょう。
現在の広島市中心部はは、まだ大部分が海の中でした。
小さな寒村だったようです。
豊かな海だったのでしょう。(潜ってみたいですね。)
しかし、今にしても素晴らしいなと感心
するのは、中国の覇者となった毛利氏の
新たな拠点として、この地を選んだことです。
慧眼というほかありません。
どういう経緯で決まったのだろうか?
やっぱり、あそこでしょ…と思っていた?
風水?
秀吉の勧め?
なぜ、そんな事を思うのでしょうか?
築城は、埋め立てから始めたのですから。
(水を仕切っては、土地を作るところは
オランダと同じだね。)
難工事だったらしい…。(言われなくても
分かるけど。)
何にせよ、その後400年を超えて発展を
続ける広島の歴史は、この時に始まりました。
毛利氏にとって、何と短い広島の時間
だったことでしょう…。
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