なぜ、ここだったの?
何にせよ、新たに中心を定めるという
ことは、あらゆる感情が伴います。
吉田の里から出でて、中国の覇者と
なった毛利氏にとって、新たな中心地
が必要になるのも、当然の流れなのでしょう。
現在の広島市中心部はは、まだ大部分が海の中でした。
小さな寒村だったようです。
豊かな海だったのでしょう。(潜ってみたいですね。)
しかし、今にしても素晴らしいなと感心
するのは、中国の覇者となった毛利氏の
新たな拠点として、この地を選んだことです。
慧眼というほかありません。
どういう経緯で決まったのだろうか?
やっぱり、あそこでしょ…と思っていた?
風水?
秀吉の勧め?
なぜ、そんな事を思うのでしょうか?
築城は、埋め立てから始めたのですから。
(水を仕切っては、土地を作るところは
オランダと同じだね。)
難工事だったらしい…。(言われなくても
分かるけど。)
何にせよ、その後400年を超えて発展を
続ける広島の歴史は、この時に始まりました。
毛利氏にとって、何と短い広島の時間
だったことでしょう…。
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