2009年12月5日土曜日

美しいものを作れ



    
   美しいもの作れ…



   
   美しい形には無駄が無い…




   かって…


   新幹線の車両設計の指揮をとった 技術者の 三木 忠直 さん は


   部下たちに こう語ったとされます。




   世界で初めての 高速大量輸送機関 であった新幹線の開発に


   規範となるものはありませんでした。


   技術者は それこそ… 道なき道を歩んでいったのです。




   東京-大阪 間 を 最高速度200㎞で結ぶ列車の計画は…




   その当時…




   彼らは夢を見ている…




   と 世間から見なされていました。


   万里の長城 ・ 戦艦 大和 と並んぶ 3大無用の長物 として


   世間のもの笑いの種ともなっていたのです。




   今でこそ…


   風洞実験で 高速運転時の 空気の流れを計算。


   コンピュータで解析し 次の試験を行う…


   という手法が確立していますが


   高速運転、そのものが未知数だった時代…


   技術者は 粘土を削りながら 先頭車の形を整えていったようです。




   そういえば…


   確かに 古今東西 美しい形の機械 は


   それなりに 優れた性能を伴なうケースが多いように思います。




   そうでなくても、人に語りかけてくる何かがあります…


   

   それも重要ですね!




   美しい、機能的 なものは


   それだけで 人の心を揺さぶり 何かを語りかけてきます。




   アイデンティティ の一つとなり…


   心の拠り所ともなるものでしょう。




   今 私が目の前にしている 姫路城 もその顕著な例の一つ。




   その存在は…


   今や 日本人だけの ものではなく。


   世界文化遺産 として


   世界中から 広く認められることとなりました。




   この事に 異論を挟む人はいないでしょう。




   そんな 姫路城 は…


   今 あるべくして ここにあるのでしょうか!?


   

   そうではありません




   人から人へ… バトンを手渡し続けるなかで


   半ば 奇跡的に 残ったものです。




   1993年12月…




   奈良         法隆寺       ( 文化遺産 )


   青森・秋田     白神山地      ( 自然遺産 )


   鹿児島県      屋久島        ( 自然遺産 )




   …と共に 日本最初の世界遺産 として 認められた時


   草場の影から 喜ばれた方が 何人いらっしゃる事でしょう!?




   今回は…


   
   そんな




   姫路城を取り巻く 人から人への物語です…












2009年12月4日金曜日

海峡旅情



   わ~たしも ひ ・ と・りぃ ・ ・ ・




   連絡うぅ船にぃ 乗りぃいぃ




   凍 ・ え ・そ ・ぉ・な・ カモメ見つめ 泣いていましたぁ~ ♪




   何を隠そう…


   私は 石川さゆり さんの隠れファンである!


   (隠れは つい、今の今まで…  天城越え も ようござんす!!!)




   この歌を聴いて… ♪




   どんだけ 青函連絡船 に憧れたことか…




  結局…


   廃止には間に合わず


   旅行 当時、存在した 夜行急行 はまなす で 青函 を通過…




   念願の 彼の地まで やって来たものの…


   夢は 果たせぬままとなってしまいしました。


   はまなす も 旅情のある列車でしたが ほどなくして廃止。


   ( つくづく 旅行は 距離 と 時間 両軸の旅だと思います…。 )


   

   海峡を結ぶ演歌といえば…



   もう一つ…




   は~るばる 来たぜ はーこだてぇぇぇ~


   はぁ~ぁ~ あなたっと 食べたい 鮭茶漬けぇ~ ♪




   ※ 歌詞の方は、あまり気にしないでください…




   しかしながら…


   函館 に着いたとたんの、この明るさは何でしょうね!?


   世代の問題かな!?




   冗談はさておき…




   トンネル前後の 素晴らしいまでの高規格路線と…


   当初、開通させるかどうかまで 問題となったため


   とりあえず…


   前後に存在した ローカル線を あり合わせのように繋いで


   幹線に仕立てた結果…




   ぐにゃぐにゃと… 嵐の夜の船 のごとく揺れを伴う


   不釣り合いな、単線の接続線を味わうことに。


   

   眠れない窓から、信号停車する度に見つけるのは…


   すれ違いの貨物列車。




   トンネル は 乗客よりも


   対、北海道 対、本州 の 貨物の安定輸送に力を発揮していると


   聴いたことがあるけど それは本当らしい。


   動脈 という言葉がよぎります。



   
   長いトンネルを抜け…


   

   再び、曲がりくねった後は…


   目が覚めたら 真っ暗な景色の中


   ひたすら 真っ直ぐの線路を コー という 音とともに


   走り抜けていたのが印象的で


   北海道、最初の印象となりました。



   
   旅行好きに



   
   海峡好き! という人が



   
   どれくらいいるかは不明だけど…




   こうして 私は 海峡 を目指して旅をしています。




   津軽 ・ 来島 ・ 関門




   思いつくまま、並べてみたけど…




   いずれ 交通の難所。


   昔から 思い出したように 船を飲み込んでいます。




   案外…


   幅が広そうに見える 関門海峡 も


   船が通過可能な 水深のある場所 は


   海図を見ると とても狭いことが見てとれます。


   操舵には 細心の注意が必要で 水先案内人 が欠かせません。




   中央分離帯 が あるように見えるほどに


   船舶交通量が 多く


   前後左右 が詰まるさまは 見る方もハラハラするのですが


   暫く見ていても、見飽きません。



   
   来島は…


   関門ほどの交通量ではありませんが


   いかんせん 潮流が早く 渦も見られ 見応えがあります。


   視界不良時 ・ 対向車 ・ スリップ注意 が併記される道の風情で


   幹線道に残された 隘路といった印象。


   頭上に架かる しまなみ海道 の 3連吊り橋も見物です!


   
   乗物 や 交通 の不思議だ思うけれど…


   通行上の困難の大きい場所に限って


   観光 や 趣味 として面白いんですね。




   隘 路




   という言葉は 人を惹きつけて止まない魅力を持って迫ります。




   私の乗った 門司港からの 関門連絡船




   船は…


   大型船 の行き交う幹線道を 縫うように すり抜ける。


   何とも迫力のある 航跡を描いたと思ったら


   もう 下関の街の中。











  

2009年12月3日木曜日

広島市上空



   えっ??? 消防ヘリ に搭乗したの…




   そんな訳無いですね~


   ( そりゃぁ、平和なときに 乗ってみたいですけど… )




   広島県の観光大使…


   麗しの美女が、多くの人の前で引き当てた 3枚目の幸運…




   あぁ~ 時間がもったいないよなぁ~


   俺は何を待っているんだろうか?




   2000年広島西飛行場まつり の目玉イベント


   体験搭乗 は


   その場で 応募、千人規模 に対し、当選は5、60名。


   

   この意味、わかるよね…




   あまりの幸運に、そう囁かれたような気がしました。


   しかも、出発一便。




   羨望の眼差しが集まります。


   

   おそらく、スペースシャトルへ 搭乗するクルーへの視線は


   こんな感じなんだろうなぁ。



   初便の搭乗者4名は 花道を歩きます。




   この時、デジカメで 惜しげもなく撮影できた事で


   今日があるんですね!




   実は…



  
   この写真、エピソード…


   9・10月頃には、展示に使う予定でいました。




   しかしながら…


   存続・廃止で揺れる 西飛行場賛歌を その時書く気にもなれず


   留め置き、今回は「消防ヘリ」の後ろに持ってきてみました。




   インフォ ・ 展示 で、時に辛辣なことを話す、私。


   西飛行場については


   廃止した方が良い…としています。




   しかしながら…

  
   人一倍、思い入れがあるからこそ… の意見とであるということも


   知っておいて頂ければと思います。




   羽田拡張時に 東京便を再開し残す… との意見がありますが


   その時に、現 広島空港 との機能分担が出来るとは思えません。




   これは、思い入れではありませんが…


   広島西飛行場は 機能を大幅縮小 防災上としても重要と思われる


   ヘリポート として最小限を残す。


   使えるお金があるならば… 脆弱な 広島空港-広島市内の


   アクセスを強化する方向で、県・市が協力することが


   最適な選択と思っています。











2009年12月2日水曜日




   やったね!



   詳細はまた…









消防ヘリ



   広島市中央公園 に着陸する 消防ヘリ



   
   消防出初め式にて


   昨日からの雪を舞い上げながら~




   お約束通り 展示追加してみました。


   1999年1月6日 現存する 最も古いデジタル画像から。










しょうぼうじどうしゃ



   火の用心… カチン カチン…




   なんて、うちの近所で聞こえてくるまで あと20日余り…




   感想してますね~


   いえ、乾燥です。


   誤変換したのですが、気に入ったので残してみました。


   確かに、感想しているんです。


   鼻がムズムズ お肌も荒れます。




   地震 ・ 雷 ・ 火事 ・ 親父



   
   怖いモノ


   親父 の脱落が言われて久しいんですが…


   こんな時代だからこそ、ぴしーって 叱りつけてくれる存在も


   欲しかったり。


   脱落よりも 加わったものの方が多いような気がしてみたり。




   それにしても… 火事の怖さは昔から


   暖房器具が活躍する季節だけに 慌てて お出掛の時は注意!!!




   門司港駅 に 置かれていた 消防車!


   説明版が無かったように思いますが… 大道具のひとつなんでしょう。


   いい感じに古びています。 




   子供の時、持っていた ミニカー の中で


   大きな割合を占めた 消防車 ・ 救急車 ・ パトカー


   おとこの子を 惹きつけて止まない魅力がありますね。




   3つ子の魂なんとやらで…


   外見だけなら「男の人」になっていますが


   中身は昔と変わらず、時代に合わせて増量中なだけ。




   当然ながら…


   しばらく 眺めています。


   止められてられても見ようとしたことでしょう。


   自分の足で出かけ 、 ぐずらなくなったのが進化といえば進化。




   救急 ・ 救難 ・ 救援 ・ 支援 って言葉も


   人の心の深いところを探る何かがありますからね~


   昔と比べて、興味が薄れた訳では無いよなぁ。




   しかも… 40年近い歴史の中で


   揺らされる事も 多かったものなぁ。


   地震 の怖さも思い知らされたよ。。。   




   消防署を通る度に カメラを向けたい衝動に駆られます。


   駆られるだけじゃない…


   向けます


   きっと、必ず


   

   そういえば…


   デジタルカメラで撮った一番古い写真くらいに


   消防出初め式 がありました。


   

   デジタルって、初期の画像 観られたものじゃないんですが…


   ( 腕と相まって… )


   人にもよりますが


   私としては 300万画素が普通に出回り始めた頃に


   一応は確立したなぁ~ と思っていました。




   …とはいえ これも 歴史の1ページ


   いいなぁ~、と思う写真があったら 展示してみます。




   そんな訳で…


   慌ただしい年末を迎えていますが


   慌てず ・ 焦らず の気持ちを大事に 一月


   皆さんで 良い新年を迎えましょう!!!




   今日の展示は インフォ・スペシャル みたいな感じだね!!!










2009年12月1日火曜日

九州鉄道の中心地



   鉄道に関して…




   つばめ・ミュージアム を 始めてから 知った事があります。




   それまでは


   全体的に バランス良く 興味があると思っていたのですが


   実際には 蒸気機関車・路面電車(LRT)・新幹線・駅・橋…


   最近の興味は 草創期の鉄道にあるようですね。




   その時々の 興味の向き不向き もありますが…


   今年に関しては、そのように関心が向いていたということを


   今年、撮影した、多くの画像が語りかけてきています。




   最も…


   やや、不本意な例もあるのですが。。。




   京都 が それで


   

   「博物館、観ましたよ… 京都 なんですが 鉄道 が多いですね


   お寺や神社には あまり行かないんですか!?」



   
   まったく、おっしゃる通り…


   どんなに旅行に行かない年でも 京都 には日帰りで出かけて


   お寺や神社を巡っていたのですが…




   その頃は…


   想いでは 目に焼き付けておけばいい


   写真を撮ると 自分の目での印象が薄くなる…


   と思いながらの旅でした。




   それは、それで当たっていると思いますし


   今でも、そう思うのですが ・ ・ ・ 




   しかしながら…


   人の記憶なんて怪しいものです。


   よほど印象に残っていなければ


   ああ… ここも行ったよなぁ~ 程度にしか覚えていません。


   記憶も薄れ気味となり… 写真も残らず…


   …という、今にしてみれば 残念な状態。




   もっとも… 今のところ


   今年の、京都3編の公開が 十分とは言えてない状態なので


   その時は、もう少し 建物の写真も お見せできる予定です。




   さぁ…


   北九州編 を続けましょう!


   これも…


   鉄道の話になりますから… 興味を持って頂けますかどうか!?




   1889(明治22)年12月11日…


   九州最初の鉄道として…


   博多-千歳川仮停車場間 が 私鉄 九州鉄道 として開業します!


   機関車などは ドイツ からの輸入です。





   面白いもので…


   日本初の鉄道 新橋-横浜 に 神戸-京都 は イギリス。


   同じく 官設鉄道の 北海道、幌内鉄道 は アメリカ。


   神戸から 山陽路を西下する 山陽鉄道 も アメリカ。


   そして… 九州が ドイツ ですから


   それこそ… 技術の見本市のような状況です。




   その当時、すでに 先進国にて技術が確立しており


   安定した性能を得ることができたのは 日本にとって幸いでした。


   あちこち、ばらばらに輸入した事は


   無駄に思えなくもありませんが…




   その時の試行錯誤が 後の国産技術への移行を早める理由の


   一つの理由にもなったと思われます。




   1891(明治24)年4月1日


   鉄路は、門司 ( 現在の 門司港駅 )まで結ばれます。




   そして…


   写真は その当時の 九州鉄道本社社屋 です。




   1907年(明治40年)7月1日…


   鉄道国有法 により 九州鉄道 は解散するのですが


   この建物自体は その後も用途を変えながら 使われ続けます。



   
   九州の中心が 福岡市が移った後も 門司 は


   国鉄~JR化後まで 九州の鉄道の中心として


   あり続けていました。




   2003年(平成15)年8月9日…


   現在まで 奇跡的に生き残ってきた建物を 再利用する形で


   九州鉄道記念館 の 本館 としてオープンし


   現在に至っています。










2009年11月30日月曜日

歳を取って良かったなぁ~



  歳を取って良かったなぁ~と思う事。




  いっぱいありますねぇ~


  

  まず… 料理が味わい深くなります!


  ああ…この出汁、美味しいわぁ~ と思う時ですね~


  あと…


  私 煎茶が大好きですから…


  食後や休憩の時の一服が、堪えられん (最近、特に)!!!




  例えば…


  お金を使って食べに行くとすれば…


  昔なら 焼肉


  たぶん 明日も 焼肉




  今なら 和食 ですね… 瀬戸内料理 のポイントが高い!!!


  牡蠣 の季節だわん!!!


  醤油 や 香辛料 の 味に ときめいたのも 30代に入ってから…




  明日は元気にならんといけんけ~ 焼肉 にする!? が現在。



  それから…


  なんだろ…



  押し引きがはっきりしてきた事…


  以前より、そのタイミングが掴みやすくなったこと…




  若い頃って… 押して… 押して… になっちゃうんですよ


  結局は 押し切れずに 力尽きて


  コケちゃうんですけどね。。。




  B型だからですかね…


  未だに、押して 押して になりやすいんですが




  なんか 今、退けっ… って思う時があるんです。




  最初は 気まぐれかな~? って思っていたのですが


  ではなくて… 経験上からくる予感でしょう。


  

  これって… いろんな事に当てはまるかも!


  服装なんかで


  ダラダラVer と キラキラVer はっきりさせます。


  そりゃぁ… 理想は いつも キラキラ… (…のポップスター♪)ですが


  やっていけませんもんね~




  最近… あっ! と思ったのが




  たまたま 誕生日である 11日に インフォ で


  「在任中に (被爆地を) いつか訪問できれば名誉なことだ。」という


  オバマ大統領の言葉を お伝えした時の事。


  

  何十万のプレゼントを貰う以上に 嬉しいと思っていました!


  不思議な感覚です。 


  なんなのでしょうね。


  ちょっと、答えを探しあぐねている最近です…


  

  写真は 宮島 の 大照院 です。


  う~ん 紅葉が見事 ♪









2009年11月29日日曜日

終着駅は始発駅



 今日のタイトルは…



 学生時代に 特に親しんで読んだ


 鉄道紀行作家 宮脇俊三 さんの作品のタイトルから


 拝借させて戴きました。




 宮脇さんの 訥々とした 独特の文章は


 どこか汽車の ガターン ゴトーン という響きにも似ていますね。




 近年、一般的な評価が高まってきているようにも思います。




 さて…


 再び 門司港駅


 雰囲気満点の駅舎の中に入り 改札口を抜けると…


 これまた、雰囲気満点の終端駅。


 

 できるものなら、このような駅から旅立ちたいな~ 




 と思うほどに 大道具 ・ 小道具 の 舞台装置が揃っています。


 

 折角なので…

 
 全盛期の 門司港駅 へ


 ちょっと タイムスリップ してみませんか!!!




 一晩揺られた 夜行列車を 降りた


 私達家族 は


 同じ列車で旅を続けた方達と共に


 関門連絡船 に乗り込んだ。




 これが あの源平合戦の舞台であり


 長州一国が、徳川幕府に報いる戦いをした


 歴史の舞台として知られる 関門海峡なのだと


 ぼんやりと考える。




 先ほどから寝ている 幼な子を 私が抱え


 妻には 上の子の手を引いて貰う。




 身重の身には これでも堪えようが


 目指す 熊本までは まだ時間がかかる。


 申し訳ないが もう一辛抱して貰う他はない。




 門司の駅に着いた。


 洗面所で 顔を洗い少しさっぱりする。


 上の子は 煤まみれの顔を 鏡に映して


 私に おどけて見せる。




 一つ汽車は遅らせた。


 朝を食べて、ゆっくり向かえばいいことだ。




 家族は 先ほど眺めた 海を 今しばらく じっくり眺める。


 何となく足がそちらに向かった。




 今しばらくは 本土ともお別れ…


 今しばらく 少し目に焼き付けておきたかった。


 皆も、そう思ったことだろう。




 大陸に向けて船が出るということで、港は賑わっている。


 さぁ…家族の分だけでも 席は確保しなくては…


 

 …と、まぁ こんな感じでしょう。


 大正後期 から 昭和初期


 東京 なり 大阪なりから 新任地へ向かう家族…という設定。




 今なら… 飛行機で どん! でしょうし…


 どうかすると…


 週末くらい たまには帰ってきてよ! と


 言われかねない設定でしょう。




 門司港駅には…


 当時からの洗面所


 駅内食堂


 関門連絡船の連絡通路跡 等が残っていますから


 上の文章の 雰囲気も味わえますよ。




 私が旅を始めた頃には…


 まだ、この駅から 特急列車が 多数発着し


 その当時の よすが が強く残っていました。