2009年7月11日土曜日
2009年7月10日金曜日
ぷくっとした彦根城
なんだか 可愛らしい形をしているなぁ~
そうで やんすねぇ !
岐阜の夜明け以降 雨に降り続けられるので
気分も萎え萎えなんですけど…
ここまで来たんですから…
駐車場に車を止めて 中に入ると 多くの観光客。
あのぉ…雨なんですけど… と言いたくなるくらいの盛況。
皆さん気合いが入ってますねぇ~
古い城独特の 急な階段も 登る気満々でしょ…
私も 元気を貰って… いざ攻略じゃぁ~!
国宝4城の一つ 彦根城です。
可愛らしい姿とは裏腹に 多くの戦いを見続けた場所。
これまで スマートな形をした城を見る事が多かったので
ぷくっとした姿が 印象に残ります。
しかし 元気だな俺…
安土城の時、広島に帰る事を忘れるなよ…
なんて自重しようとは するのですけど。
何かが背中を押す…
何だろう!?
やはり 興味 なんですね。
2009年7月9日木曜日
旅で出会う生き物たち カニ見っけ…
夢幻のごとくなり…
人間五十年
下天の内をくらぶれば
夢幻のごとくなり。
あまりにも有名な「敦盛」の舞ですね。
織田信長の 駆け抜けるがごとくの生涯を
これほど言い表した文章は他になく
人々の印象に深く刻まれます。
そして この安土城後ほど 彼の人生の表した土地もなく
人々の郷愁を誘い、引きつけるのです。
あの有名な 天守 … その存在した期間は10年に
満たないのでは? いづれによ短い。
議論の余地があり 研究が進められています。
現在の天守の形も ルイス・フロイスが残した文章
などを参考にした 推定復元です。
もしも 本当の天守の姿が判明する日があれば
あっと驚く姿なのかも知れません。
こんな話をしていると…
私は 本に書かれている
ヴェルディのオペラ ファルスタッフ というものを
一度は見たいよなぁ~ なんて疼きます。
対照的な感じがします…
齢 80になった大家の 最後の作品は喜劇。
血を流させたら 越一流 と言われたヴェルディの
最後の作品が 喜 劇 だったとは…
あ~ん 見たいよう…
生 敦盛 もまだ見てませんぜ…
まだまだでんな。
人生に 興味と 喜びと 長生き を !
2009年7月8日水曜日
旅で出会う生き物たち
安土が招く
都を後に 御一行…
琵琶湖を望みながら 近江の道を 一路東へと辿ります。
ぴ ょ ~
汽笛の音が聞こえやすね… 館長、あれに乗ってるのかな?
おっ! あそこ、手を振ってるぞ…
おーぃ おーぃ ! …行っちまったなぁ~。
さぁ、着いたよ!
えっ、これを登るんでやんすか…
だらしねぇなぁ~ ほら ちびでも… と思ったが…
体が小さすぎるな、 こいつは俺がおぶろう。
実際の旅では 明治村にほぼ1日をかけてしまい
2日目は 小雨ながら、犬山城、岐阜城と巡る予定。
だったのですが…
車を動かした途端、動くのもどうかと思うほどの大雨に。
天気を聴いても、三河地方は大雨との予報。
西は弱め ならば、広島へ向けて 少しずつ下りながら
回復を待つ方がと思い 無念ながら この2城を諦めることに。
そして 観光の最後に 辿り着いたのがオプションもオプション
だったこの城跡。 数分前までの小雨が 嘘のように止み
足場の悪い 階段を登るのも問題無く…
岐阜よりも 安土を見せる理由とは何でしょう?
信長公に聴いてみたいですね。
東海道線を通ると いつも目の前に見えてくる安土城
いつかは登ろう…との夢を叶えたのです。
2009年7月7日火曜日
汽笛一声! 夜汽車の旅路
そろそろ 広島に戻る列車に乗りましょう…
広島開業に合わせて 開業から少し日の経った
明治27年(1894年)7月7日に時間を合わせ…
日の傾いた 新橋停車場からの列車に乗ることとしましょう。
当時の時刻表によれば…
新橋を16時45分に出る列車は 翌日の12時50分神戸着
急行は まだ無いようで 各駅に停車しながらの
東海道中だったようです。
私は東京芸大収蔵の 赤松麟作 「夜汽車」 という絵を
学生時代 美術の教科書で見たのですが
今の時間がちょうど こんな感じだった事でしょう。
当時は 潮風がさわさわと撫でていたのでしょうね。
新橋停車場を 後に汽車はゆきます。
汽笛一声 新橋を はや我が汽車は離れたり
愛宕の山に入り残る 月を旅路の友として ♪
写真は明治村の汽車。 厳密にいえば
違うものですが 当時の風情をよく残しています。
ちなみに 神戸からは13時45分発 22時16分 廣島着が
山陽鉄道 廣島開業時刻表に示されています。
今週は頑張ってんなぁ~ですが これで一段落。
さぁ、関西編ですよ。
土地は語る… 新橋停車場跡
広大な土地を囲んだ柵…
合間から写真を撮ることも叶わず…
…かといって 足早に立ち去る気にもなれず。
ちょうど昼時
遠くを歩いていた方が こちらに向かってきました。
どうしたのですか…
柵に張り付いて悄然とする若者 …どう見ても不審ですね。
何か聴けるかも… 私は一切を話しました。
どちらから? 広島… う~ん遠いなぁ。
ちょっと待ってください、鍵を取ってきましょう。
30分程度しか時間が取れませんが 案内しましょう。
地獄に仏とは このことでしょう。
鍵を開けて 柵の中の荒れ地に 招じ入れてくださいました。
それにしても 広い空間… 人影も見えません…
これが、駅舎…ホーム 礎石です。
これは上水の跡だそうです。
まだ発掘は続いています… 現在、駅周辺の建物を
調査中です… あの辺りがそうです。
時間の都合で 案内して差し上げる事ができませんが…
年齢が 倍は違うだろうという若者に対して
どこまでも丁寧な方でした。
後に気づいたのですが…
発掘調査中の遺跡の中に入った事。
特に許可を得ていない事 から考えて
責任者の方 だったのだろうなと。
名前を言っただけで、礼状も出さなかった自分の
非礼は 今でも心に残ります。
そして もう一つ おそらく昼休憩を割くなどの不便をかけた
にも関わらず 訪問が趣味の域であること…
この時も 「私は 何をやっているんだろうか…」という
想いが離れませんでした。
そして その想いは 後に
つばめ・ミュージアム に向かって連なっていくこととなります。
良かったですね… 今はこうやって 公開する方法があります。
その当時の立ち位置さえも グーグルアース で簡単に
特定できます。
案外 面白いので 興味のある方は行ってみてください!
当時 ビルの中に取り込まれるかも… までと案じた
0キロポストは 史跡範囲を駅舎まで拡大のうえ
再び埋め戻され その上に立つ 復元新橋停車場とともに
今でも その場に見ることができるのです。
2009年7月6日月曜日
いにしえの面影…
駅まで戻ってきました…
何も無いですね…
日本最初の鉄道 新橋~横浜 間の新橋停車場跡です。
時間は少し戻り、1992年9月7日12:00頃です。
仙台藩江戸屋敷… 新橋停車場… 汐留貨物駅を経て
狂騒の舞台として注目を浴びた その場所です。
日付の すぐ横に丸い石が見えますね…
江戸屋敷の柱の礎石とのことです。
そして 整然と並ぶ石は 停車場の駅の玄関付近にあたります。
後方に向かって ホームが延びています。
奥の茶色の建物は 浜松町の世界貿易センタービル。
この時 私が目指したのは…
左手後方、柵に囲まれている 日本の鉄道0キロポストでした。
今後 どうなるかわからないこの土地に 危機感を覚えて
遠征してきていたのです…
しかし目の前の柵… どうする事もできません。
この土地の その当時の状況からして
当たり前のことだったのですが… (浅学の成せる技です。)
申し訳ないけど、あそこだけは…
そう…答えて下さった方が いらっしゃいました。
この方の好意によって 今日のこの展示があります。
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