2009年10月24日土曜日
蔵出し展示 PART2 帝国ホテル正面玄関
旧帝国ホテル正面玄関…
博物館 明治村 での一コマ
内装は展示されましたが… 外観の写真は展示されて
いなかったんですね。
開館のその日に 関東大震災 に罹災しながらも
華やかな 時代の舞台として使われた後
この場所に移築されたものです。
明治村 での写真は まだ多くが未公開です。
効果的に使おうと思いながら…
まぁ そのうちに、ということで…
明日は開館一周年! …という事で蔵出し展示
2009年10月23日金曜日
つばめ、西へ西へ
ついに乗っちゃったよ…
リレーつばめ と共に
やっほ~ぃ 今年中に乗れると思わんかったよ~
カッコイイ!!!
先ほど乗った N700系の グリーン車 よりも
こちらの方が、日本を代表する って感じ
前にも書いたけど… 乗っても良かったよう~
それにしても… 鹿児島 近くなったなぁ
これで 九州新幹線 が全通した暁には。
博多乗り換えが無くなります。
これまで… 広島 と 直接の繋がりの薄かった
佐賀 ・ 熊本 ・ 鹿児島
とりわけ 佐賀 ・ 熊本 が近くなりますね。
新たな 熊本が地場の お店が進出…
なんて話も聞こえてくるんでしょうか!?
写真は、翌朝のもの… 肥薩線より 新八代に戻って
駅前の ビジネスホテル に宿泊したんです。
この時の インフォメーション は宿で更新していました。
2009年10月22日木曜日
いまわの際の… 辞世の句の世界
辞世の句…
これまで つばめ・ミュージアム に名前の出てきた
歴史上の人物 の中から印象的言葉を遺した
人を取り上げてみましょう。
何を惜しみ何を恨みん 元よりも この有様の 定まれる身に
再登場ですね… 陶 晴堅 厳島合戦編 の中で
印象的に登場しました。
露とおち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた夢
豊臣秀吉ですね…
栄華を極めた男の 最後の言葉が 「露」 とは…
満足した~系 じゃないのが意外な感じです。
最後の最後でも 思うのは 難波 だったのですね。
おもしろき こともなき世を おもしろく
高杉晋作… あっさりとした中に 自ら 世の中を動かしたのだという
自信の溢れる句ですが 駆け抜けるように 早世ですね。
いのち短し 恋せよ乙女…
これは初登場です。
日本映画を代表する 辞世 …ではないのですが そんな言葉です。
黒澤 明 監督 「生きる」 での一コマ
ずっと以前に観たのですが 生きているうちに花…
一人で呟くように 唄う姿が印象的でした。
一生懸命生きて、私らしく…
そんな 辞世の句 の世界
後の世を生きる私達への 貴重な 財産 ですね。
2009年10月21日水曜日
音戸大橋
瀬戸内らしい風景は 人気を集めます…
1961(昭和36)年 本土と 対岸の 倉橋島 を 隔てる
音戸の瀬戸 を結ぶために 開通した
音戸大橋 です。
幅、わずかに 90メートル という狭い海峡 でありながら
広島湾 と 外の内海を 結ぶ重要航路であること
かなりの交通量が予想されること
当時 すでに 対岸の 倉橋の町 の市街地化が進んでいた 。
…などの条件をクリアさせ 橋を架けるため
倉橋側の アプローチ道路 を スパイラルループ にする
工夫がされており それが、独特の景観を生み出しています。
開通当初は 有料道路 でしたが…
順調な利用により、早期に償還を終え 無料化されています。
現在… 日中から 橋の周辺部 の
渋滞が発生するようになっていることなどから
広島寄りに 第2音戸大橋 の建設が進められています。
2009年10月20日火曜日
江田島青年の家でBBQ
先日… 国立江田島青少年自然の家 で
BBQしてきました!!!
江田島青年の家 というと…
学校 や 会社 の研修場 といった印象が強いかと思いますが…
グループ や 家族 単位で 利用できるんです。
しかも…とってもリーズナブル
事前の申請手続きや、団体生活なので
それなりの規則 があることが 普通のキャンプ場との大きな違い。
宿泊 ・ 研修・ 運動 施設とも 大変 充実しています。
浜田編で登場した
Yさん夫婦 と 子供さん二人も参加してますよ~
130モータ付 の男の子は どうなったのでしょう。
成長は早いな~ って感じで
やんちゃぶり は相変わらずですが
どこへ行くにも 必ず目的があるようになっていますね~
お姉ちゃん… もう、なんか色目を使うんですね~
手を取ろうとしたり、見上げたりと 私の傍を離れようとしませんが
これって、嬉しいものですよね~
鳥取県香美町の温泉で ( 余部の時ね… )
もう娘が可愛くて可愛くて…って感じの おと~さん が
一緒に浸かっていたんですが… 気持ちが分かるような気がします!
そんな成長も見られますが…
私が 少し離れた、暗い場所で ☆ …を眺めていると
それこそ 手前の階段を 全身を使って登ってくる影…
やはり君かぁ…
親の苦労は絶えませんねぇ。。。
青年の家は…
自分で材料を持ち込めない代わりに、こちらで全て揃っており
準備要らず
今回は 宿舎を利用したこともあり この手の荷物も不要。
お手軽さ…という点でも ポイントが高く
朝の バイキング形式の食事も 美味しかった。
ある程度の規則も…久々に 学生感覚 が楽しめて良かったですよ!
小さい子がどうかな~ との心配もありましたが
もう、どこでも泣くわけでもなく…
学生さんの アイドル になってました。
翌朝 朝のつどい ( 朝礼みたいなもの ) が終わり
帰ろうとしたら… おと~さんのうしろに
下の子 が いい子していました。
母親と留守番のつもりでしたが
結局 行くと言ってきかなかったらしい…
偉いね~ 居るって事に気づかなかったよ!
広島からだと、適度な ドライブで 景色が良いことも
ポイントを 押し上げたのでしょうか
また利用したいなぁ~ が皆さんの評でした。
100年レイルの旅
この路線の開通を待って、青森-鹿児島 間が鉄道で
結ばれることとなりました… と案内が車内に流れます。
難所に続く難所の 肥薩線
開通当初は 海岸沿いの路線は未開通で
こちらが 鹿児島本線 を名乗っていました。
私達は はやとの風 号に乗り込み
隼人経由 で 肥薩線を北上中。。。
私も詳しくは知らなかったのですが…
列車には 女性の客室乗務員 が常務していて
沿線の 名所駅 に何度も停車しながら…
歴史ある駅舎に お客さんと共に降り立って 案内を行います。
さながら観光バスの ガイド嬢 のような役割を担います。
写真は、その途中駅での一コマ。
のんびりとした雰囲気が、なんともいい感じです!!!
2009年10月19日月曜日
バリアフリーな旅の計画
祖母の 米寿の記念旅行 を計画する時…
折角ですから… ある程度 遠隔地に連れ出したい。
そう考えました。
諸事情を考えると… 鉄道 が最適と思われます。
そして 雑誌イメージなどから…
最初は 宿 を奮発するつもりでいたのですが
祖母にその事を伝えると、お風呂に行く時が不安… とのこと
売り物であるはずの…
広い浴場も、野趣溢れる露天風呂も 足場を心配します。
言われてみると確かにそうです。
歳を重ねると 食が細くなりますから、豪華な食事 というのも
これまた 魅力が薄いようです。
素っ気は無いのですが、駅前の清潔感のある ビジネスホテル に
宿泊、食事は ターミナル内の食堂で済ませるということにしました。
歩きながら観光地を巡ることは 負担が大きいので
極力、列車移動に抑え、車窓からの景色で楽しむように
考えて、JRの 西日本パス を利用。
これは奮発し グリーン車用 としました。
行き先は… 北陸 ・ 南紀 ・ 九州 を 選択肢としました。
若い頃、何度も出掛け… 懐かしい思い出も多い 九州 と
一も二もなく 決まりました。
実際、その方が 行き帰りでルートを変えられるので
変化が楽しめると思われ、計画側からみても
最も良い案です。
行程の一部は、前回の旅行が下見として役立ち
多少の案内も可能なので、私自身も安心できました。
2009年10月18日日曜日
戦艦 陸奥 41㎝主砲塔
先の大戦終了時まで…
日本に 戦艦 として現役で浮かんでいたものは
横須賀に 満身創痍の 長門 一隻があるのみでした。
この 長門 ですら…
すでに、補給する 燃料 や 物資 が無く
沿岸防御用の砲台 として使われていたに過ぎません。
呉軍港 に至っても悲惨で… かって洋上を駆けた
海軍の主力艦が 何隻も… 防空用砲台としての機能も満足に
果たせぬままに沈没 浅い海に着底し、無残な姿をさらしていました。
こんな状態で終戦を迎えたものですから
現在、日本国内に残っている戦艦としては
日露戦争時の旗艦 三笠 が 横須賀に
コンクリートに固められた状態で残っているのみです。
アメリカ は ハワイ にある。
日本が降伏調印を行った ミズーリ を始め
各地に 多数残されていることを思うと
ああ…日本は敗戦国なんだなぁ~ と実感できる訳です。
写真の 戦艦 陸奥 41㎝主砲塔
戦艦 陸奥 という船は… 戦中、長門 以上に国民に人気が
あったと聴いたことがあります。
今だったら 大和 でしょうが… 当時の 大和 ・ 武蔵 は
秘密のベールの塊でしたから
こちらに人気が集まって当然でしょう。
しかしながら… 1943(昭和18)年6月8日に
山口県の柱島沖で
多くの将兵を抱えたまま 謎の爆沈を起こします。
原因は今もってわからず、戦史の謎とされています。
戦後になって一部部品の回収作業が行われまして
山口県の大島にある 陸奥記念館 の他
各地で展示公開されています。
写真は 1935(昭和10)年の
改装の時に降ろされた 主砲塔
間近で見ると、なんとも大きいですねぇ~
写真では、その迫力が伝わりません。
これを 3つも並べた船を これまた何隻か並べて観れば
そりゃぁ、世界を相手に戦ってやるぞ… という気を起こさせたとしても
不思議じゃなっかったんでしょうね。
三徳山三仏寺 投入堂
ここから先は、お二人様以上でないと…
三徳山三仏寺 投入堂 の入口にて
…では、どうすれば良いんですか?
何も知らない私…
おおげさだなぁ…
と思いながら、待つこと5分
他にも服装や、靴についての規定があるけど、それは難なくパス。
やはり一人で拝観に来られた方とペアを組んで
いざ 投入堂 へ出発!
…しばらく進むと、すぐに大渋滞
30分で30メートル進めただろうか? とかく前に動かない。
下ってくる方の コース取りといい、表情 見ている方が
際どく感じるような道を、辿って来るんです。
それにしても…
大人でも 楽しくて仕方無いほどの
フィールド・オブ・アスレチック
木の根を掴んで登ったり、鎖を掴みながら一人づつ登ったりと
そりゃぁ、登るための渋滞も起こりますわい。
そして、それぞれのお堂、全部について
あの…危なっかしげな回廊を巡ります。
連れに記念写真を撮って貰っている女性…
よ~ そこで にっこり出来るなぁ~
…真下から見ている方が怖い…っ
落ちたら、自分に当たる事、確実 ・ ・ ・
お二人で組んで頂いて… と 先ほどの言葉の意味が分かります。
人の少ない時にですよ… 一人で登って あっ…と思った時に
誰も見ていない可能性…十分にありそう。
どうりで、名簿に名前を書いて、帰りも下山報告する訳です。
そんな苦心の先に辿り着いた、国宝の 投入堂 ですが ・ ・ ・
それ以上に…
大渋滞の中、帰りの道路も渋滞んだろうな…と 思っていたこと や
ペアの方と暇つぶしで話した様々な事の方が
印象に残ることになりました。
1時間ちょいで帰れるかぁ~ の計画は
どっこい往復2時間半!
良かった…予定は未定の、ざっくり旅行計画!!!
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