SF映画にでも出てきそうな
レトロフュチャーな蒸気機関車…
大正、昭和初期に流行した 鉄道 の 流線型ブーム。
実用的な効果のほどはともかく、独特のモダンさがあり
今でも、根強いファンを持っています。
パネル を 眺めながら おっ…! と思った
この機関車
パシナ号 も
川重で生産されたもの。
ちょうど 自社の生産 通算1500両目となったことを記念して
文字を入れて 撮影されていますが その姿で走ったということ
では無いようです。
日本の資本と技術で 運営された
南満州鉄道 の看板列車として
大連 - 新京 間を 8時間30分 (後に ハルピン まで運転。)
最高速度130Kmでの運転は
国内と線路の幅が違うとはいえ
日本人が設計、製造した蒸気機関車の最高速度となっています。
当時としては珍しい 冷暖房を完備した客車で運転された あじあ号。
試運転列車に招待された アメリカの報道関係者は
世界一の列車だ… と伝えたとされています。
明治政府の決断のなかでも 今に失敗とされる
日本国内の線路幅1067mm は
海外標準の1435mmと比べて狭く、高速運転に不利なことが
早くから分かっていました。
一時は、標準軌 への改軌が真剣に検討され、
その時の 技術検討 は 当地にて生かされています。
また、この機関車は…
いずれ 東海道・山陽本線 の容量は限界に達するとして計画、
一部で 土地の買収が開始されていた
戦前の 東京-下関 間 の
弾丸列車計画 の
牽引機関車のベースモデルとも見られていたようで
そのまま、全長を伸ばして 車輪を増やしたかのような
機関車の基本計画図 が残されていることは は
ファンの間では有名な話しです。
やがて、戰局の悪化に伴なって
あじあ号 は運転を終了。
弾丸列車計画 も中止となってしまいましたが。
買収を終え、すでに掘削を開始していた 新丹那トンネル は
後に
東海道新幹線 用として使用。
買収されたが進んでいた土地の一部も 活用されています。
また… 敗戦により 失業した 軍の技術者を
技術流失 ・ 失業対策 のために 鉄道総合研究所 で引受け
電気 ・ 航空 ・ 通信 ・ 機械 などの技術者が集ったなかで
航空技術を応用した高速電車 という夢が語られることとなり
当時… 鉄軌道では 不可能とされていた 200km 運転を
実現させていくことになります。
世界中の多くの国が採用している 1435mm幅 ですが
その多くの国が、アメリカ、ヨーロッパ、カナダ製車両を輸入しています。
もしも日本が標準軌だったら…
敗戦により、アメリカの統治下に置かれた時に輸入され
それらの機関車を使うことになったのではないでしょうか!?
歴史の因果を感じます。
パシナ機関車 は…
その後… 長く 所在が分かりませんでしたが
1980(昭和55年)夏、中国の蘇家屯機関区 にて
流線型のカバーが外されている姿で、日本人が発見。
その後、中国人の手により 往時の姿への復元がされ
現在は 瀋陽蒸気機関車博物館 で保存、展示されています。