2013年2月9日土曜日

大和 特徴的な後部 水上機搭載スペース



世界的に見ても珍しい・・・


大和 型戦艦の、特徴の一つが 後部の、水上機搭載スペース



他の 戦艦でも・・・


主砲などの弾着観測用に 飛行機が1、2機 搭載されている事が多いのですが


大和 は 露天のスペースだけでなく、

クレーンを使って収納する 専用の格納庫を持っており、

最大で7機搭載することが可能とされていました。


これは・・・


戦闘時に 壊れてしまう事を防ぐだけでなく

弾着観測の他、索敵や護衛など、

より 積極的な運用が可能なように考えられたものでした。



ちなみに・・・


最後の戦艦として知られる、アメリカの アイオワ級戦艦 が

( 日本では 降伏文章に調印した 4番艦 ミズーリ が有名。
後に レーガン政権下で、現役復帰し 湾岸戦争にも従事。 ) 

露天搭載のみとした簡単な構造としている のとは対照的な考え方となっています。



写真は・・・ 1/10大和に搭載されている 零式水上観測機。

大きいだけに、拡大すると迫力があります。


 
にほんブログ村 広島ブログ

2013年2月7日木曜日

1/10大和に注ぎ込まれたもの



日本海軍を代表する艦船の

大型模型を、次々にモノにしていっただけでなく・・・


製作にあたってのリサーチ、その完成度の高さから

多くの艦船模型モデラーにとっての、目標ともされるような模型を製作する

伝説のモデラーとして知られた・・・


河井 登喜夫 


それまでも、次第にスケールアップさせながら

何隻かの「大和」を製作してきていた 河井 氏が



自らの 模型人生の集大成として企画されたのが・・・



1/10 の 戦艦 大和



・・・と、言葉にするのは簡単なのですが


精密に作ろうと思えば


例えば 実物で1mの構造物であれば、

10cmの部品として再現しなければならない世界であり、


部品、一つ一つを製作するだけでも これまでより、正確な考証が必要になってきます。




製作にあたり もうひとつの問題となる

置き場所は

呉市が計画していた博物館に寄贈する計画として、部品の製作に着手・・・


残念なことに 河井 氏 は、その途中で、体調を崩され 逝去。


個人が製作、寄贈する、

全長26m超にもなる 「戦艦 大和」の模型建造計画は、一度は頓挫するかに見えました。




今・・・ 私達が眺めている 1/10の「戦艦 大和」建造計画 は


当初計画から 多くの方に眺めて貰うことを前提に

河井 氏 自らの持てる総力を注ぎ込んで製作 寄贈するという

なんとも 男らしい夢と、心意気から生まれたものだったのですね!



結果として・・・



河井 氏が描いた夢は 夢のままとなってしまいましたが・・・



呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)の「魂」となるものは、

この時には、注ぎ込まれていたのですね!



写真は その 河井 氏が製作されていた  零式艦上戦闘機  の模型

今の 1/10 大和 に搭載されているものです。





この・・・


日本海軍にまつわる 歴史資料の収集、常設公開を行うための施設は

地方自治体である 呉市 と、関係された方々の情熱によって生まれました。


多くの方々にとって、待望久しいものであり、

以降の・・・ 資料の発見、体系的な収蔵 研究 公開には目を見張るものがあります。



写真も、そのひとつ・・・


石坂 浩二 氏が、出演番組にて入手。


戦後まで、海上に浮かんでいた唯一の日本戦艦であり

接収したアメリカ人艦長の遺族より購入。

そのまま大和ミュージアムに寄贈した 戦艦 長門 の 軍艦旗


このような博物館が無ければ どなたか個人のコレクションとなって

普段から、見られるようなものにはならなかっただろう・・・ 気がします。




※ 河井 登喜夫 氏 の名前を誤っていました、2月8日に修正しています。
文章も加筆しています。



にほんブログ村 広島ブログ

2013年2月6日水曜日

戦艦大和 実際の姿は!?



数あるプラモデルのなかでも・・・ とりわけ人気が高く

各メーカーが、様々なスケールで模型化している


戦艦 大和


男の方であれば、一度は 大和 の模型を手にとったみた、

あるいは、作ってみた経験があるのではないかと思います。


そんな皆さんの 大和


もし 30歳以上の方であれば・・・

手にした 当時の大和の模型と、現在、分かってきている実際の形のものとでは

細部が随分と違っているかも知れません。



実のところ、この船は



実在した当時、秘密のベールに包まれていたうえ、

終戦直後に、設計図や写真などの資料が、徹底的に焼却処分されたために


その知名度の高さとは裏腹に、往時の姿を今に伝える資料が

極めて少ない事でも知られています。


それでも、長年に渡っての艦船の研究に熱心な方々の手によって調査が

進められていった結果、少しづつながらも、その姿が分かってきていました。






にほんブログ村 広島ブログ

2013年2月5日火曜日

動物と自分と



そういえば・・・ 小学生の頃


先生に こんな感じの、遠足写真を撮って貰ったな~!


動物に、自分の姿を見るような一枚ですね。



あした~も、こ~だと嬉しいね~~!


今~日~も、気分は日本晴れ~~♪


あ~~した 天気にな~ぁれ~!


( この歌・・・ 覚えている人、いらっしゃるかな~!? )



まぁ・・・


予報と、今の状況からして


明け方は 確実に 雨か雪コースですわな。。。



あぁ・・・ 温泉に行きたいわぁ・・・!!



にほんブログ村 広島ブログ

2013年2月4日月曜日

平家納経 ~ 竜宮と浦島太郎と玉手箱 ~



昨年の秋・・・


満潮時に、海没した、厳島神社を訪れた時に見た景色の印象から

私の中で、ここを 竜宮 と通称しています。



そして、ここを訪れる度、毎回ではありませんが

私は、お守りなり、資料を、神社の売店で買ってきます。



学生時代・・・ 専門的に歴史を学んだ訳ではない私にとって

子供の頃から親しんでいるこの建物について

さまざまな角度から リサーチしてみることは

そのまま、歴史への接し方を考えることにも繋がるんです。



ですから 厳島神社について書かれた

資料を見つけたら、できるだけ目を通してみるようにしています。


この本は、秋に訪れた時 購入してきた一冊


全三十三巻の美と謎  国宝 平家納経   小松 茂美 著


海上に浮かぶ、大鳥居や社殿群 などと共に、


広島に馴染みがあって、美術に興味の覚える方ならば

一度は眺めてみて欲しい 平安時代の工芸技術の粋を凝らした巻物。


地元贔屓を差し引いたとして、

国内にある、紙に描かれたものとしては、

最も美しいもののひとつではないかと思っています。



鉄道員として就職の後・・・


原爆で死線をさまよっていた時に見た、平家納経公開の新聞記事に

一度は実物を眺めたいと願うようになり、それを機会に

徒手空拳で、平家納経の探求の道に身を通じていった著者の

その 学究の集大成。


はじめに・・・ の最後に


本書は著者六十年の一念をここに終焉させる。 


・・・とあり、この後に逝去されています。


この一文を書く時の、著者の心境はいかがだったものなのでしょう


学究の末 解明出来たこと、心残りとなり、後の人に託したい事。


人 一生の仕事と、喜びについて 考えさせられる一冊となっています。


まるで 竜宮城の浦島太郎のようなお話ですね。


( しかも、ここの祭神は 宗像三女 なんですよね。 )


このお話・・・


子供の頃は、玉手箱について なんで渡したのかなぁ 怖いな~ なんて思い

何かの教訓のように感じていたのですが


最近は・・・


夢中になるものを見つけ、それに向かって駆け抜けていく

人生の短さを伝えるものなのではないかな~と思うように。


皆さんは、どう感じられますか!?


うらしまたろう の おはなし は


玉手箱を開いたところで終わる・・・ ( でしたよね!? ) のですが

私は お爺さんになって後の 

浦島太郎 の、その後が気になるのです。


幸せな人生だった!・・・ と感じていたのじゃないかなぁ~!?



2013年2月3日日曜日

そこんところで、もういっちょ!



ちょいと、土手沿いの海の中を覗くとき・・・


幼魚が


ふよふよ~っと


泳いでいる姿が、何とも可愛らしい!



にほんブログ村 広島ブログ