呼子大橋を中心にして拡がる
風景の右手は肥前名護屋城跡
秀吉の朝鮮出兵のために
築かれた拠点。
広島城は、その後方支援の役割を
担うがために、建設工事を急いだと伝えられる。
両国とも、多くの犠牲を払った後に、計画は失敗に終わる。
九州国立博物館に展示されていた
元寇の沈船から引き揚げられた「兜」
彼らは、何に期待して日本を目指したのだろう…
沈みゆく、船の中で何を思ったのだろう。
攻めるも、守るも、悲劇…
防人の悲哀も、今に伝わる。
そして
近代も…
そして、今
目の前に、何も無かったかのような景色
この先のいつまでもと願う。