2009年2月28日土曜日

海を隔てて…


呼子大橋を中心にして拡がる


風景の右手は肥前名護屋城跡


秀吉の朝鮮出兵のために


築かれた拠点。



広島城は、その後方支援の役割を


担うがために、建設工事を急いだと伝えられる。


両国とも、多くの犠牲を払った後に、計画は失敗に終わる。



九州国立博物館に展示されていた


元寇の沈船から引き揚げられた「兜」



彼らは、何に期待して日本を目指したのだろう…


沈みゆく、船の中で何を思ったのだろう。



攻めるも、守るも、悲劇…



防人の悲哀も、今に伝わる。



そして


近代も…




そして、今



目の前に、何も無かったかのような景色



この先のいつまでもと願う。


九州国立博物館は広島の参考になるだろうか?


1月の福岡旅行について


遅くなりましたね。



締切に間に合わせるような


感じもしますが…



一気にいきます!



2005年10月に開館した


この施設の建設が決まった時


正直なところ、羨ましいと思いました。



広島にあったらなぁ~



その割に遅くなりましたが


ようやく、この1月に訪問。



規模の大きさに驚きます。


何とも思い切ったものですね。



私も九州の血が入るためなのか…


熱いものを感じますが



広島に、この建物を目指して


欲しくはないな…とも思いました。




小さな建物をブロックのように


建て増していく、この10年、次の10年


完成目途を、数10年先に置く施設。


そのような形の方が実現性が


高いように思えます。



場所も中心部近くに置き


テーマパークのような親しみを、覚えるものであれば


利用客も増え、都心部の回遊性にも貢献できるのでは


ないでしょうか。




…実現は遠そうですが


とりあえず、夢を語りましょうか!!!








2009年2月27日金曜日

夜明け前…


もうすぐ3月…



今年の



プロ野球オープン戦は


最後を飾る現在の市民球場で


(解体の始まる秋までは


引き続き使用される予定。)




そして


いよいよ



「新広島市民球場」



の時代がやって来る。


今年から



「カープの聖地」は



ここだ!  (ジャーン ♪)



待ち切れずに


見に出掛けた、お散歩ドライブにて


いよいよ最後の仕上げに入っています。



「大リーグのスタジアムみたい」



って感じがするのだけど…


かなりの地元びいきが


入っていそうなので…



その辺が、本当かどうかは


ご自身の目で確かめてください。



始まる前


クラッシックに例えれば


演奏前のチューニングみたいな感じでしょうか…


現在の「新広島市民球場」です。

2009年2月25日水曜日

大正屋呉服店の今


現在の



平和祈念公園のある一帯は


戦前は広島随一の繁華街でした。



広島は、一瞬のうちに多くの


記憶を失いました。



「街の記憶喪失」といえば


ご理解いただけますか?



住民であるだけに、強く感じています。



ほとんど、すべての物を焼きつくした中で


元安橋よりの角地に1軒の建物が残りました。



昭和4年に竣工した「大正屋呉服店」


繊維統制令によって閉鎖後


原爆投下時は「燃料会館」となっていた


現在のレストハウス。



平成になって取り壊しが論議されましたが


市民活動によって、存続が決まり


現在もその場所にあります。


一市民として嬉しいことでした。




現在、通るたびに思っている事があります…



この「大正屋呉服店」の建物は、戦前までの広島の繁華街の


様子を今に伝える貴重な建物です。


被爆建物である、という以前に


往時「廣島」の記憶を残す、貴重な建物ではないでしょうか。



幸いなことに、大正屋呉服店当時の


建築設計図、内部の写真なども残されていることから



レストハウス(休憩所)は別に用意し、大正屋呉服店として


復元、保存できないかなと思うのです。



もちろん、これは私の意見ですが


爆心地付近に残る貴重な遺産として


今後、保存、活用論議が活発になることを願っています。





2009年2月23日月曜日

レモンボーイ


夕方、閉店間際…


と、いうか閉店して


レジを閉めてない感じの…



近所のストアにて


バナナレタス


2点、168円を購入。


支払終って…


ふと、ふり帰ると



レモンボーイ



なんだ、これは…と見ていると



「おもしろいでしょ、彩を添えるトマトなんです。」と言って



1個頂いてしまいました。



ありがとう、お兄さん…



私は、こんな近所の


小さなお店での買い物が、とても好きなんです!!!



安いし新鮮だし料理の相談もできるしね ♪




(写真はレモンボーイとレモンです。)








2009年2月22日日曜日

広島城の夢


島城天守



東 と 南 に、それぞれ






を従えていたことを


ご存じでしょうか?




小天守といっても


3層の立派なもので


それだけでも、十分に


天守らしい威容を誇っていました。




明治初期に解体されてしまったのですが


もし、それらが残っていたら


広島城の存在は


さらに大きく感じられただろう


と思うと残念です。




そこで、提案。




現在のコンクリートの天守は


そのままに、東、南、どちらかからでも


復元に向けて動き出せないものでしょうか。




豊臣大阪城、聚楽第が跡形も無い今となっては


それを模した、と言われる広島城の存在は


全国的に見ても、貴重なものであるはず…



「史上最大の連結式天守」とも称される


広島城天守の復元は


広島っ子の、新たな自慢の種になることは


間違いないでしょう!!!




(写真正面、入り口風の突き出しは、そのまま右手に向かって


伸びる大きな廊下(南廊下)でした。


正面側に窓を作り、あたかも最初からその形であったように


見せているのが、現状復元天守の残念な点です。)




同じ夢を抱く方は、多いでしょう。


手探りでも、動き出す時期に来ているように思います。