現在の
平和祈念公園のある一帯は
戦前は広島随一の繁華街でした。
広島は、一瞬のうちに多くの
記憶を失いました。
「街の記憶喪失」といえば
ご理解いただけますか?
住民であるだけに、強く感じています。
ほとんど、すべての物を焼きつくした中で
元安橋よりの角地に1軒の建物が残りました。
昭和4年に竣工した「大正屋呉服店」
繊維統制令によって閉鎖後
原爆投下時は「燃料会館」となっていた
現在のレストハウス。
平成になって取り壊しが論議されましたが
市民活動によって、存続が決まり
現在もその場所にあります。
一市民として嬉しいことでした。
現在、通るたびに思っている事があります…
この「大正屋呉服店」の建物は、戦前までの広島の繁華街の
様子を今に伝える貴重な建物です。
被爆建物である、という以前に
往時「廣島」の記憶を残す、貴重な建物ではないでしょうか。
幸いなことに、大正屋呉服店当時の
建築設計図、内部の写真なども残されていることから
レストハウス(休憩所)は別に用意し、大正屋呉服店として
復元、保存できないかなと思うのです。
もちろん、これは私の意見ですが
爆心地付近に残る貴重な遺産として
今後、保存、活用論議が活発になることを願っています。
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