2009年2月22日日曜日

広島城の夢


島城天守



東 と 南 に、それぞれ






を従えていたことを


ご存じでしょうか?




小天守といっても


3層の立派なもので


それだけでも、十分に


天守らしい威容を誇っていました。




明治初期に解体されてしまったのですが


もし、それらが残っていたら


広島城の存在は


さらに大きく感じられただろう


と思うと残念です。




そこで、提案。




現在のコンクリートの天守は


そのままに、東、南、どちらかからでも


復元に向けて動き出せないものでしょうか。




豊臣大阪城、聚楽第が跡形も無い今となっては


それを模した、と言われる広島城の存在は


全国的に見ても、貴重なものであるはず…



「史上最大の連結式天守」とも称される


広島城天守の復元は


広島っ子の、新たな自慢の種になることは


間違いないでしょう!!!




(写真正面、入り口風の突き出しは、そのまま右手に向かって


伸びる大きな廊下(南廊下)でした。


正面側に窓を作り、あたかも最初からその形であったように


見せているのが、現状復元天守の残念な点です。)




同じ夢を抱く方は、多いでしょう。


手探りでも、動き出す時期に来ているように思います。

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