広島城天守は
東 と 南 に、それぞれ
小天守
を従えていたことを
ご存じでしょうか?
小天守といっても
3層の立派なもので
それだけでも、十分に
天守らしい威容を誇っていました。
明治初期に解体されてしまったのですが
もし、それらが残っていたら
広島城の存在は
さらに大きく感じられただろう
と思うと残念です。
そこで、提案。
現在のコンクリートの天守は
そのままに、東、南、どちらかからでも
復元に向けて動き出せないものでしょうか。
豊臣大阪城、聚楽第が跡形も無い今となっては
それを模した、と言われる広島城の存在は
全国的に見ても、貴重なものであるはず…
「史上最大の連結式天守」とも称される
広島城天守の復元は
広島っ子の、新たな自慢の種になることは
間違いないでしょう!!!
(写真正面、入り口風の突き出しは、そのまま右手に向かって
伸びる大きな廊下(南廊下)でした。
正面側に窓を作り、あたかも最初からその形であったように
見せているのが、現状復元天守の残念な点です。)
同じ夢を抱く方は、多いでしょう。
手探りでも、動き出す時期に来ているように思います。
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