2010年7月10日土曜日
余部橋梁 最後の旅路
海の見える集落に向かって
夜明けの山道を下ります…
今回は、しっかりと写真に収めるぞ!!!
ようやく、見えてきた 余部鉄橋。
なんでしょう…
凄く、感動を覚えます。
手を合わせたいような。
今でも、忘れることはありませんが
実際に 列車が転落して 多数の死傷者を出していますから
鉄橋の真下に来たときには
2つの意味を込めて、手を合わせました。
そこに立っているだけで
訴えかけてくるものがあります。
すっと、上を向いただけでは 心残りがしそうです。
人の創造物の傑作 …ということになるのでしょう。
多くの人の心を,捉え続けました。
そして…
1912(明治45)年1月13日の 供与開始 から
100年にわずか足りない
この 7月16日
最後の列車が 橋 を渡り終えると同時に
その歴史に幕を閉じることになります。
長い間、本当にお疲れさまでした!
( 写真は 昨秋の旅の時のものです。 )
※ ラベルを鳥取にしていましたね。 訂正しました。
2010年7月9日金曜日
2010年7月8日木曜日
ベルリン交響楽団 魅せどころは意外なところに
クラシックコンサート に出掛けると・・・
アンコール前に、席を立つ人方がいらっしゃいます。
すでに いい時間ですから… 帰りの足が気にかかる方も
いらっしゃるのでしょう。
アンコール を行わない コンサート もありますし、
あったとしても・・・ 概ね、聴き慣れた 軽めの曲が選ばれことが多いことから
無理もない話しななんですが…。
この ベ ル リ ン 交 響 楽 団
アンコールに入った途端…
まるで 物語の世界にでも迷い込んだかのような、生き生きとした演奏に♪
まず1曲目…
指揮者 が壇上に上がっただけで演奏に♪
ただ、満足そうに頷きながら、手前のセカンドバイオリンの
演奏に見入るような表情を見せるだけ。
曲は ビゼー アルルの女 ファランドール。
スピード感のある曲ですが全く破綻なく、この曲の輝きを表現します。
何をやっているんだ・・・ この楽団???
あまりの演奏の素晴らしさと緊張感なので・・・
ちょっと、目の前で起こっていることが信じられないほどなんです。
見事なまでの統率力ですね。
お次は・・・ ブラームス の ハンガリー舞曲。
2曲もやるんだ!?
再び・・・ リオール・シャンバダール は指揮棒を手にします。
キラキラした演奏が見事!
目の前で、舞踏会が行われていうような錯覚を覚えるほど・・・。
そして・・・
3度目の拍手に迎えられ… いよいよ挨拶・・・ と思いきゃ・・・。
カタコトの日本語で
ヒロシマ ニ… アイトウノ イ ヲ… エルガー…
私達は、この曲を聴いてもらうために来たんだ!!!
…とでも言いたげなほど、力の込められた演奏を
深い鎮静を込めて。
最後の音が鳴り止んだ後も… シャンバダール は手を振り下ろしません。
やがて…
振り下ろした手と共に 万雷の拍手!!!
多くの方が立ち上がって拍手するなか・・・
私も立ち上がって拍手をしました。
それをしなければ、惜しまれるだろう。 ・・・と感じたほどの演奏でした。
このアンコールの3曲は 私がこれまで聴いた演奏のなかでも
名演のうちに入るものでしょう。
あまりの感激で・・・ 恥ずかしながら、終演後 アンコール演目の書かれた紙
写メ で 撮ったにも関わらず、保存し忘れたんですよねぇ。
エルガーの…何だったのだろう? そのうちCDで探そうっと♪
帰り際…
私、鳥肌が立ったわぁ~!!!
そんな、誰かの声が、全てを表している
素晴らしい演奏会でした。
※ 2011年4月3日に加筆しました。
2010年7月7日水曜日
梅雨の頃… いかがお過ごしですか!?
2010年7月6日火曜日
住吉大社
大阪の知らない…を潰していこう!!! と
これまで、訪ねたことのない場所へ
積極的に足を向けた 今回の旅。
橋のファン としては嬉しい 太鼓橋 をじっくり撮影
していきます。
厳島神社にも 木製の反橋 がありますが
こちらは 渡れたことがありませんから興味深々!!!
昔は ステップ が無く、よじ登ったのだとか!
宮島のものは、今も取り付けられていません。
雨は 強くなったり、弱まったり。
軒先で雨宿りをしながら…
参拝
あれと、これと、それと、どれ お願いします!!!
( そんなに一度に叶えられないよ… )
それもそうだナ。。。
お賽銭、増額しますから! ( そういう問題??? )
じゃぁ… これ!!!
2010年7月5日月曜日
2010年7月4日日曜日
クロスバイク
今日はサイクリング♪
現在、使っている ママチャリ ( つばめ2号 ) は
距離を稼ぎながらも、大事に乗っていまして
今年8年目。
チェーンも、時折 幅を詰めていますが…
前回、詰めたとき
あと1回くらいかな… と。
そろそろ更新時期だなぁ~ と思いながらも
さらに1年以上。
いよいよ、最後の詰めが必要になってきました。
同時に 後継車 選びもスタート。
この段階で、実用車に振りながらも
乗って楽しい ことを目指すこととしました。
それでもって… 昨日、登場したのが
写真の自転車。
2号 後継 ということで つばめ21号。
( ホンネでいえば、最近 物入りなので もう少し後にしたかった。 )
フラグシップ としての 1号 が いますから
外せる要素は外す 割り切った仕様。
廉価に徹するため 量販店のオリジナルモデル。
値段は ちょっといい ママチャリ。
これで、街乗りも安心できます。
このお店 盗難保険 を付加できるのが嬉しい!
派手な 1号 に対し 落ち着いた 黒。
2ギア に 対して 乗り易い 3ギヤ。
スタンド に 反射板 と
いかにも 実用車 らしい仕様 となっています。
1号 の実績に基づいて
安価な サイクルコンピュータ も付加。
それにしても…
こんな仕様のものが ママチャリプラス で
買えてしまう… というのは ある意味 怖い とも思います。
姿を見ても ロードレーサー 譲りの 高速仕様。
こんなものを ママチャリ感覚 で乗っていたら
思わぬ事故を招きかねない… というのは
先程、試走してきての印象。
毎日を、颯爽と走れる。
あちこち出かけていけば、特に意識しなくても
かなりの運動量になり健康的 …というのは
他にはないメリットでしょう!!!
2号も 荷物運搬 に特化して
いま暫く 活躍して貰おうと思っています。
この自転車のフレームは
恐らく、最後の頃の物であったであろう 日本製 で
大事にしたいんですよね。
日本人の手になる初の
幕府 に 献上 横浜 で公開された
ペリーが持ち込んだ 蒸気機関車模型 より
半年早く…
ロシア は プチャーチンの艦隊 が 持ち込んだ模型を
長崎 で 日本人は眺めていました。
船内で公開した …とありますから
ペリーのものよりは、随分小さかったのでしょう。
これらを眺めた人達の中に
これを、自分達の手で作りたいと思った人がいました。
佐賀藩精練方 の人達です。
藩主 鍋島直正 の許可を得て
模型製作に取り掛かります。
完成は 1855年8月。
日本人の手になる、初の 蒸気機関車 です。
模型とはいえ… 日本の技術で作った初めての
機械動力を持った陸上の乗り物 …という事になります。
この頃の、日本に
これだけのものを 試作する技術があった事を示すと共に
往時の 佐賀藩の姿勢を示す
貴重な資料でもあります。
そして、その 実物が 佐賀県立博物館 で
展示されているということも 凄いことだと思います。
この当時から
すでに その意義を理解し、受け継いで
いったのですね。
現在、佐賀県の文化財 及び 鉄道記念物 に
指定されていますが。
そろそろ 国の重要文化財 として認めれれても
良い時期ではないでしょうか。
最後に…
横浜で公開された 献上品の ペリーの機関車 は
その後、どうなったのでしょう!?
気になりますね。
見た人があれば、その内容についての
記述でも出てきそうですが… そんな話しはありません。
今後の発見に期待… と言いたいところですが
ある時、収めていた倉と共に燃えたのだそうです。
もはや、そんな事を気に留めている余裕が無かった
…と考えるのが、正解なのでしょうか?
写真は 大阪交通科学館 にある複製品です。
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