2009年5月2日土曜日

鯉したっていいじゃない…


やっぱり新球場いいですね…



ホームランで稼がない試合ってのは


見ていて気持ちいいね。



試合後半になって、今までのは何だったの?


ってのは気分が削がれましたからね。



えっ…今のHRなのって、味方のですら何?って思ってた。



あと3塁打って、子供の時から好きだったけど


あれこそ、野球の醍醐味だよ。


草野球しててさ、草むらの中に入って…みたいな



あと、盗塁ですね。



俺は外野の守備。 



私は本塁への返球ですね。



四球を選んで2盗して、ヒット1本で1点。


それだけで勝つような試合好きだったな。


あの頃の投手、北別府、福士、金石のファンだった。



子供の割に渋いですね…



全盛期の勝ちパターンですよね。



いつの間にか、ホームラン攻勢の時代に入ってさ


興味失っちゃったな…派手だけど飽きるんよ。


野球、興味無いって思われてるもん…



天然芝ってのもいいですよね。



ですよねぇ…。



これだけは譲れないかった。



わん!



新幹線やJRからも見えるのも、いい宣伝になりますね。



乗ってたら、ファンで無くても気になりますからね。



草野球でも気になるぅ。



自分、去年末に思ったんですけど


歓声で試合の流れ変わるんじゃないかなって…



今年も、相手の投手が萎縮しているの?って思うときあります。



座談会は続きますが、この辺りで…



CD買いました、気付け薬みたいなものです。



また、やりたいですね。



対策いろいろ…




台風とか地震に敏感、だと思います。

そりゃぁ、台風19号とか、芸予地震とか経験すりゃぁね…


そもそも、阪神大震災以降、

懐中電灯の点検を欠かさなくなりましたね。


広島でも

早朝に、かってなく、いつまでも揺れましたもの…


アロマ用でローソクも置いてあり

1週間くらいなら食べ物も。


…ってな訳で、まだ何の心配も感じられない先週、

買ってきましたマスク。

何か恥ずかしいので、2回に分けて。


(こんな買い物していると、あたしゃぁ、米不足の時を思い出すよ…。)


傷まない食べ物の方は、

(非常用で)使わない時の事も考えながら、少しずつ。

豚インフルエンザでなくとも、新型の大流行の可能性が指摘されて

いるのですから、そろそろ対策しておいてもいいでしょうと思った次第。



そして、何日か前


寝ていたら


ごそ、ごそ


奴がいる…


被害が出ないうちに…


そう、我が家には「ネズミ」が出ます。


もう、何年前にもなりますが、


グランド狭しと走られ…


あれよ、あれよと追加点…ではなくて、食べ物の被害を大きくしました。

あの時の苦い経験から、罠(粘着式)の仕掛け方の技術もUP。

しかも、いつ出ても良いように買い置き済み。(泣)


音を確認して3日目の午前2時「ガサッ」という大きな音で目が覚める。


「ばたっ、ばたっ」…捕まったらしいが、眠い。

窮鼠、袋の…いや、粘着糊の…

あぁ…朝よ来ないで…地獄絵、見たくないなぁ…Z Z Z


その割には、朝になって写真を撮る。

(何の為!? 使えないよなぁ…。)


2009年5月1日金曜日

TUBAME CINEMA

まずは、レッドクリフ


先日TV放送されたパート1を、昨日ようやく観て

迎えたシネマ・デー

行きましたよ。


よかったぁ…パート1、2続けてですものね。

「おっぱいバレー」なんて候補もありましたが…


三国志について何ら予備知識も無かった私

たぶん、この後も三国志を読むとき

今回の役者さんの姿を思い浮かべるのでしょう。


まぁ、その前に「竜馬がゆく」「坂の上の雲」

「ローマ人の物語」「源氏物語」を読み終えましょうね。


もう1つはレンタルしてきた「ナイト・ミュージアム」

「つばめ・ミュージアム」フリークの皆さん(おらんおらん…)はぜひ!!!

超おすすめだわ~

目の前の標本が、剥製が、模型が動く…

やられたなぁ~、こんな不思議世界あったら楽しいでしょうね。



2009年4月29日水曜日

向日葵の咲く頃 ~子規が歩いた道~


正岡子規の句碑が身近にある…


向日葵…を書くための資料にあたって


いると、思いがけない記事に出会いました。



日清戦争凱旋記念碑から、宇品に向けて


数百メートル歩いていくと、千田公園があります。



今も設計図を片手に、周囲に目を配っているかのような


千田貞昭の銅像の横に、ひっそりと


その句碑はありました。

説明版は無く、資料を見ても

もうひとつ信じられません。


はっきりと彫られた文字も、読み取れないこともあり


気づかないでください…と言われているかのようです。




「行かば我、筆の花散る所まで」




日清戦争の従軍記者として戦地に赴く子規の


覚悟を読んだと思われる句です。



(2007年9月19日付け中国新聞の天風録参照。)



向日葵の咲く頃  ~日清戦争凱旋記念碑~


時間を戻しましょう…


明治まで



皆実、宇品地区には


その昔、広島が軍事都市だった頃の


名残が残っています。



電車もしくは、バスの皆実町6丁目電停で


下車して、宇品方面の電車通りより一つ


御幸橋寄りの細道に入るとすぐに


その公園は見えてきます。


「タカの記念碑」と地元の人に呼ばれている


その小さな広場には不釣り合いなほど高い塔が


見えてきました。


明治29年に造られた凱旋記念碑です。



正面に「平和塔」と彫り込まれていますが


実は昭和22年になってモルタルで塗りつぶしたもので


現在でも、その下には「日清戦争凱旋記念碑」の碑銘が


残っているそうです。



戦勝を祝う碑など、今の時代にそぐわないのでしょう。


塗りつぶす…といった行動そのものも、当時の混乱を


物語っています。



壊すのは簡単でしょうが、碑を潰すには忍びなかったのでしょうね。



日清戦争は、当時の日本の時代背景から見るとき、


日本の命運を左右した戦争であり、



その勝利をいかに喜んだかが


伝わってくるようです。


2009年4月28日火曜日

向日葵の咲く頃  プロローグ


戦艦大和が、沖縄特攻に向けて


最後に錨を上げたのは、


山口県の柱島沖



その建造は


呉といえば大和と共に


日本海軍のシンボルとして活躍した


船艦長門を生んだ軍港。



イギリスのダートマス


アメリカのアナポリスとともに


世界三大兵学校と呼ばれた


江田島の海軍兵学校。



いずれも広島市の周辺です。


原爆投下の前と後で、大きく姿を変えた広島


その面影は今でも多く残っています。



写真は大和ミュージアムにある、戦艦大和の模型。


2009年4月27日月曜日

もしかしたら残るのでは…


私が子供だった頃の図鑑、

路面電車は…


「消えゆくのりもの」

「懐かしいのりもの」


といったタイトルで扱われていました。


消えゆくと言われてもなぁ…


活気を呈す、広島市内の路面電車を

見ているだけに

その言葉に違和感を感じていましたが

いずれ、広島でも地下鉄化、廃止になるというのが

暗黙の了解となりつつあったのです。


活気があるとはいえ、導入されるのは各地で廃止された

路線からの中古車ですから、先行きは不安です。


そして昭和55年、新時代の路面電車を探るため

導入された3両編成の3500形。

長崎では1両の2000形。


外観、内装ともに刷新された新車が

話題を振りまきながら、走り始めました。


全くの新規開発になる電車ですから、

関係者の労苦と喜びは大きかったようです。


そして最大の功績

「もしかしたら路面電車は残るかも知れない…。」と

市民に意識させたことでしょう。


その後は、路面電車製造の再開を受けたことにより、

各事業者が新車導入を進めていくこととなりました。

これら、現在に繋がる一連の流れの発端となったのです。

2009年4月26日日曜日

新たな一歩…  3500形


全国に路面電車廃止の嵐が


吹き荒れた、昭和40年代を


乗り越えた事業者の中から



そろそろ新しい電車を導入


したいという動きが出てきたのが


昭和50年代。



その動きを受け


今後の路面電車を探るべく


試作要素も含めて開発されたのが


この3500形です。



この電車は1編成のみとなりましたが


盛り込まれた技術は


その後に製造された電車に大きな


影響を与えています。



(続く…)