時間を戻しましょう…
明治まで
皆実、宇品地区には
その昔、広島が軍事都市だった頃の
名残が残っています。
電車もしくは、バスの皆実町6丁目電停で
下車して、宇品方面の電車通りより一つ
御幸橋寄りの細道に入るとすぐに
その公園は見えてきます。
「タカの記念碑」と地元の人に呼ばれている
その小さな広場には不釣り合いなほど高い塔が
見えてきました。
明治29年に造られた凱旋記念碑です。
正面に「平和塔」と彫り込まれていますが
実は昭和22年になってモルタルで塗りつぶしたもので
現在でも、その下には「日清戦争凱旋記念碑」の碑銘が
残っているそうです。
戦勝を祝う碑など、今の時代にそぐわないのでしょう。
塗りつぶす…といった行動そのものも、当時の混乱を
物語っています。
壊すのは簡単でしょうが、碑を潰すには忍びなかったのでしょうね。
日清戦争は、当時の日本の時代背景から見るとき、
日本の命運を左右した戦争であり、
その勝利をいかに喜んだかが
伝わってくるようです。
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