2010年5月21日金曜日
私は必ず帰ってくるの…
中央からの派遣要請を待たずして
要請が来たらすぐに出発できるよう
独自の判断で、災害派遣への準備を進めていたといいます。
海上自衛隊呉基地。
やがて 接岸可能な埠頭に到着したものから
順次 避難者を乗せ 神戸 を離れます。
乗船前の白人の中年婦人の言葉が印象的でした。
私は、ここを離れなくはならない
でも、私は必ずここへ帰ってくるの この街が好きだから。
インタビューに そう答えていました。
震災後、大きく減少した 神戸市 の人口。
比較的 近隣でもある
広島市 に移住した人も、少なくなかったようです。
その方が 神戸 に戻られたのかどうかは
知る由もありませんが
力強く復興を続ける 神戸市 の人口は
近年 再び 増加に転じているようです。
2010年5月20日木曜日
その時…
1995(平成7)年1月17日、午前5時46分…
忘れもしない、あの日。
前日、友人と 遅くまで電話で話していた私は
明け方、地震で目を覚まします。
ユラリユラリ、さほどの揺れでは無いけれど
いつまでも、いつまでも揺れる
体験したことのない 長い揺れに
私は 遠くで起こった、大きな地震を予感しました。
距離は200キロ程度 山陰沖か? 大阪方面か?
高知沖? 福岡方面?
福岡?
電話しなければならない顔が浮かぶ。
いや… 根拠に乏しい。
距離はともかく 方向は不明なのだから。
しかも… さすがに大都市とは考え難い。
しかし、ひどい。
津波やがけ崩れで 少なくない死者が出るだろう。
遠い地で起こったであろう不幸を思い 涙が出ます。
まだ眠い…
朝、家族の声で目を覚ます。
神戸 が大変なことになっている…
ヘリからの映像…
救助している様子がないけど…
何をやっているんだ????
病気というのは不思議なもので、普通の事には
事欠いても、そういう直感だけは 鋭く働いていた。
会社に出かけて暫く後 私は倒れます。
悪性の風邪に罹っていたのです。
40度近い熱が、数日 下がらないというのに
不思議なもので 布団に寝ていると退屈になってくる。
…かといって起き上がることさえ 自由にはならないのです。
自然とテレビに目が向きます。
人の名前が、ひたすら読み上げられる。
…以上 死亡が確認された方です。
…以上 安否の確認が取れていない方です。
この時の風邪は 現在に至っても、私のワースト。
なぜか、震災報道 を見続けることになりました。
因縁というものを さすがに この時は感じていました。
淡路島。
学生らしい子が 崩れた家に向かって声を枯らす映像。
おばぁちゃん… おばぁちゃん…
病の身には、その声が 深く響きます。
地震から数日後。
不通となったまま 緊急路となっていた 鉄道線路。
大阪 から 神戸 に リュック を担いで向かう人の
列が見られるようになります。
報道関係者 が その中の 一人で歩いていた男の人に声をかける。
どなたのところに向かわれるのですか?
その時の言葉。
知り合いがいるわけじゃないんですが、神戸に着いたら
この リュック の中の食べ物を配ってくるつもりです。
そんな、ニュアンス。
今も、心に響いています。
2010年5月19日水曜日
2010年5月18日火曜日
2010年5月17日月曜日
2010年5月16日日曜日
風見鶏
神戸 を 代表 する建物の一つといってもいいでしょう!
風 見 鶏 の 館 。
話しは違うんですけど…
ちっちゃい頃 風 見 鶏 って欲しかったんですよ~
一頃は ほんと、憧れました!!!
もう少ししてからは 百 葉 箱 。
何とか開けられないかな~ とチャレンジしようとしていたら…
先生が来て 真顔で 怒られました。。。
あるんだから、見せてくれてもいいじゃん… と
こちらも、負けてはいませんが
ちょっと困った顔で 「 まぁ… また、今度な。。。 」 と
言われたっきりになったっけ。
そんでもって… 科学教材。
プラスチック製 なんて、どれくらい持つんだか…
さりならば… 高級インテリア。
た ・ 高い 。。。
そりゃぁ… そうだ… 需要から考えれば、そんな値段だろう。
付いていりゃいい… というものでもなく
デザイン に 好みがある。
それ以上に 家に 相応しいかどうかの問題が…
あるよね。。。
結局… いつしか忘れ去られた 風 見 鶏 。。。
そんな、憧れても… 届かない 切ない感じが
心に残るのでしょうか?
NHK の みんなのうた で 歌われた
風見鶏 に ちなむ 歌。
恋するニワトリ
…って、不思議と印象に残っているんですよね~。
この建物を見ても、メロディが流れてくるくる…流れ来る ♪
晴れた朝のニワトリは 元気が無いの ゴメンナサイ ♪
そして… この歌 ツバメ が出てくるんですね~。
旅してるんだ ・ ・ ・ 。
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