2009年11月7日土曜日
備中高松城攻防戦 その2 水攻めへ…
1582(天正10)年…
羽柴 秀吉 率いる 織田中国討伐軍 は
岡山 備中高松城 攻めを開始。
当初、城主 清水 宗治 に
有利 な条件 降伏するよう持ちかけますが
義を重んじた 宗治 はこれを断り
徹底抗戦の構えを取ります。
攻めあぐね 当地に釘付けとなった 秀吉 は
軍略家 として名高い 黒田 勘兵衛 の奇策…
水攻め を行うべく
この地域の水源である 足守川 を堰き止める
堤防の工事に着手します。
足守川取水口の 門前 から 写真の 蛙ヶ花 まで の
3㎞ に 堤敷22m ・ 高さ7m ・ 上幅11m の堤防を
わずか12日間で作った… との記録が残っています。
周囲と比べても わずかな高さの差しかない 高松城 は
折からの雨期も手伝って、みるみるうちに
孤立していきます。
遅れて到着した 小早川 隆景 、 吉川 元春 らも
もはや、どうすることも出来ず
城は 籠城戦 へと突入していくのですが…
この時…
日本史 は
僅かの時間の間に 大きなうねりを見せていくこととなるのです。
写真 は 蛙ヶ花 に残る 堤防 跡 です。
奥の山 から 堤防 がわずかに 飛び出して見えるのが
お分かり頂けるかと思います。
備中高松城跡 から 徒歩で 7・8分 といったところでしょうか
朝方 降り続いた雨は止み…
痛いような日差しが照りつつあります。
この時… 私は ある事に感激しながら 歩いていたのですが…
それは、また… ということで。
周囲は公園になっていますから 高松城跡まで出かけたら
ぜひ立ち寄ってみてください。
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