厳島に城を築く
毛利 家 の勢力は 吉田の里 に発し 西は 少しづつ 広島の沿岸域 へ
現在の 広島市内 あたりにまで勢力を伸ばし… ついに 厳島 を支配地に収めます。 そして、 厳島 における拠点として 弘治元(1555)年 春 現在の、宮島桟橋近く 要害山に 宮尾城 を築き 兵を配置します。 当時の 厳島 は、情報、物 の集う 重要な港として機能していました。 ここを抑えられることは 大内 家 にとって 海上における自由を、奪われることとなります。 陶 軍 は 必ず、厳島の支配権 を奪い返しに来る。 毛利 元就 には 密かに期するものがあったのです。 写真は 要害山 宮尾城跡 です。 城 というよりは 砦 のようなものであったと言われています。 宮島桟橋から すぐ近くに登り口があり わずかの距離ですので、一度登ってみては いかがでしょうか…
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