2009年9月14日月曜日

塔の丘への布陣



   弘治元(1555)年9月21日




   陶 晴堅 率いる、軍勢が 




   今の 岩国 より 海路 厳島 へ達します。






   上陸は22日。




   大元の浜より上陸し、




   五重の塔 のある 塔の丘 に 布陣します。




   対する 毛利 宮尾城 守備兵は 500人






   9月24日




   予め、陶 軍 の襲来を予想して




   毛利軍 4千は 本陣を 佐東銀山城 ( 安佐南区の武田山 )に




   置いていましたが 草津 へと移動します。




   陶 軍 は 約2万とされていますから 兵力差は 1/5






   従ったのは、毛利 元就 以下




   長男 隆元




   次男 吉川 元春




   3男 小早川 隆景




   有名な 毛利の3人の柱、全員での参陣でした。





   実のところ、長男 隆元 には 残るように伝えたとされていますが





   弓矢が尽き、私一人残っても、何もならない… と答えたのだとか。




   いかに、毛利にとって背水の戦であったかを




   物語るエピソードです。










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