塔の丘への布陣
弘治元(1555)年9月21日 陶 晴堅 率いる、軍勢が
今の 岩国 より 海路 厳島 へ達します。
上陸は22日。
大元の浜より上陸し、
五重の塔 のある 塔の丘 に 布陣します。
対する 毛利 宮尾城 守備兵は 500人
9月24日
予め、陶 軍 の襲来を予想して
毛利軍 4千は 本陣を 佐東銀山城 ( 安佐南区の武田山 )に
置いていましたが 草津 へと移動します。
陶 軍 は 約2万とされていますから 兵力差は 1/5
従ったのは、毛利 元就 以下
長男 隆元
次男 吉川 元春
3男 小早川 隆景
有名な 毛利の3人の柱、全員での参陣でした。
実のところ、長男 隆元 には 残るように伝えたとされていますが
弓矢が尽き、私一人残っても、何もならない… と答えたのだとか。
いかに、毛利にとって背水の戦であったかを
物語るエピソードです。
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