車で道を走っていると時々・・・。 史跡や観光地を示す標識を見かけます。
こんな時、皆さんならどうします!?
私達だと・・・。
左に曲がって8km。 どうする? ちょっと厳しいかなぁ~。
5km以内なら? 行くねぇ~! やっぱりその辺だよねぇ~。
・・・と、まぁ 時間の許す限り巡ってみることが多いんです。
さて・・・ 高知。
山田堰・・・ すぐそこみたい・・・。 行く! ( 即断!)
以前だと・・・。
いかにも観光地といった場所でないと標識が無かったかと思うのですが。
今は、土地の歴史を示す小さな史跡などについても細かく標識が立てられています。
帰って調べてみましたら、江戸時代から昭和48年まで、
修理を重ねながら、周囲を灌漑し続けた「堰」の跡でした。
かっては暴れ川だっただろうなぁ・・・。
見回してみても、流量は多くはありませんが、
高めの堤防と余裕を持たせた流域が、洪水時の流量が多い
だろう事を物語っています。
この堰が完成して以降、土佐藩の石高が数万石上がったのだといいます。
左手にあるトンネルが、往時の取水口跡です。
堰を完成させた 野中 兼山 を祭る神社。
名も知らなかった「史跡」・・・。
永く大切に思われてきたからこそ残り、標識も立てられているものであり、
じっくり見ていると、何かしら訴えかけてくるものがあります。
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