2009年8月11日火曜日
繋ぐ
梅小路蒸気機関車館は…
往時の 京都機関庫 の賑わいを今に伝えています。
東西南北からの列車、東海道・山陽線の特急、急行
京都御所 に因む お召し列車を 担当した 交通の要。
計画当初は 千葉県の小山機関庫とされていましたが
上記の他、各々の条件を、検討した結果
逆転決定されました。
古代より 近代遺産 まで 関心がある私は…
近年までは、日本の国宝制度に対して
少なからず 抵抗感を持っていました。
明治時代以降のものに対して 全く指定がされないためです。
新しいものこそ、良いもの… という風潮の時代の波をくぐれず
多くの近代化遺産を失ってしまいました。
平成に入り、大幅に見直された結果
急ぎ、近代化遺産の保護が 進められてきているのは
前述の通りです。
特に この 梅小路機関庫 が 重要文化財の指定を受けた
時には… なかなか 味のあることをやるなぁ~ と思いました。
指定は 機関庫の建物本体 に対してなのですが…
仮に 保存されている機関車が無くなり
機関庫だけが残る意味は 薄いでしょう…
一旦、指定してしまえば 走らせることも難しくなる機関車には
手をつけずに 同等に近い価値を持たせる… 事になるからです。
日本を代表する機関車を集め 保存する施設を用意した後
国鉄蒸気機関車 の 歴史は
昭和51(1976)年3月2日
北海道は 追分機関区 に残っていた
3両を廃止して、幕を閉じます。
しかしながら… 惜しむ声が 途切れることはなく
国鉄は 蒸気機関車を使った
観光列車を走らせる計画を発表。
昭和54(1979)年8月1日より
国鉄 山口線で やまぐち号 として運転を開始したのです。
実質の廃止期間が短かったことは…
機関士 や 修理工 の技術を 途切れることなく伝え
スクラップが進められていた 修理機械 の保管、修復など
結果として 蒸気機関車を運転するシステム を継承
その後、JR各社、私鉄で復活していくことになる、
技術継承の学校として 機能することになりました。
今回の題材は 鉄道 ですが、これらの事実は
他の文化財の保存、活用についても、
大いに参考になることと思います。
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