2009年11月9日月曜日
備中高松城攻防戦 その3 敵は本能寺にあり
皆さん こんにちは!
知るは楽しみなり と申しまして
知識をたくさん持つことは
人生を楽しくしてくれるものでございます。
私は当ゼミナールの主任教授でございます!
さて…時は戦国
話も、少し遡りますが
6月に 愛知県犬山市 明治村 に出かけたワタクシめ。
2日目が大雨となり…
急遽 犬山城 ・ 岐阜城 と見学していくコースを諦め 西下
天気の様子を確かめながら
滋賀県の 長浜 ・ 彦根 ・ 安土 の城を巡りをした事は
以前書いたとおりですね。
そこから 琵琶湖大橋 を渡り
御所 を右手に 京都市街 を抜け
国道9号線を辿りながら、帰っていきました。
その道すがら… 亀岡 の町こそ
主君 織田信長 から
備中高松城攻め の 援軍を命じられた
明智 光秀 の居城があった場所です。
その時、秀吉は 高松城水攻めの最中。
1582年(天正10)年6月1日…
命を受けた 光秀 が 亀山城 を発ちます。
主君暗殺の計画を秘めて…
現在でも 裏切り者の汚名を着続ける 明智 光秀 ですが
どうなんでしょうね…
私自身は… どうも 後世史観 の感じが拭えません。
時は下克上
敵は本能寺にあり…
ドラマならば 見せ場になる この言葉が
どこまで本当だったかは?ですが
事前に知らせたのは事実でしょうし
それに 1万3千の軍が従った、というのは見事なものです。
それだけの背景があったとは、見ることができるでしょう。
歴史っていうのは、勝者によって後の世に
都合よく作り変えられますし
もっというと… 後の権力者が
民衆教育に都合の良いように
ヒーロー ・ ヒロインに押し上げていくものですから。
それに…
講談 や ドラマ 史観というものも入ってきますので
最初が何で、何だったのやら… という見方で歴史を
観察していくには
よほど 冷静な目が必要となるでしょう。
何にせよ…
備中高松城攻め 援軍のために
自らも 近衆を伴い 安土城 を出立
京都 入りしていた 信長 は
明智軍 1万3千の攻撃に 為す術もなく
本能寺の露 と果てることとなります。
信長死す
現在の 臨時ニュース よろしく
密使が 全国各地に飛んだはずです。
秀吉にも… 毛利にも…
密使のことですし、昔ゆえ口伝、脚色、粉飾 ( 今でもかぁ~ )
さまざまでしょうから…今となっては真実のほどが分かりません。
しかし… この時
日本史に 不思議な賽の目が現れているんですね。
それ故に、この時の歴史は
人々の想像力を掻き立てて止まない
魅力を持ち続けています。
写真は 滋賀県 側 から見た 琵琶湖 です。
愛知側 が どんよりと していたのに対し
京都側には 晴れ間が覗き、帰り道に一安心。
つくづく縁がありますねぇ~
ところで…
冒頭の言葉から始まるクイズ番組
覚えている方、いらっしゃいますか!?
すんごく好きだったなぁ~!!!
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