毛利 元就 の不幸は…
長男 隆元 の早世であったように思います。
これは 毛利 家に限らず 戦国大名家にとって…
世襲は、存続のかかる難事であり続けました。
元就 の死後…
孫にあたる 輝元 の率いる 本家 を
叔父の 吉川 元春 ・ 小早川 隆景 の両川が
支える体制となりました。
全盛期には…
北九州から 中国地方 全域まで
そして、ついには 現在の 兵庫県 姫路市 付近にまで
覇を唱えた、毛利 でしたが…
そこで、猛反撃に遭うようになり
以降、東進することはありませんでした。
当時の毛利氏は 相手側である 織田 氏 にとっても
大きな 脅威になりつつあり、
よく知られているように、中国攻略の 大将 は
当時、出世頭であった 羽柴 秀吉 が担当しています。
1579年10月
岡山城主 宇喜多 直家 が
織田 方に 寝返ります。
より前線に近い 岡山 にとって
もはや、時代の趨勢は 織田 にあり… と
考えての行動だったのでしょう。
毛利 氏にとっては 大きな痛手 となります。
写真は 安土城跡 です。
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