2009年8月17日月曜日

石見銀山 ~ 龍源寺間歩 ~



   大内氏、尼子氏、毛利氏、豊臣氏…




   時の権力者は、銀の採掘権を目指しました。




   そして 関ヶ原の戦いから、僅かに2ヶ月


   いよいよ天下を収めた、徳川氏により


   石見銀山は 幕府直轄領(天領) となりました。




   銀は、日本のみならず 当時のヨーロッパでも


   ソーマ銀 として知られていました。



   
   銀 … 私が考えても、取り扱いが大変だろうな…との


   想像はできますが…




   3Kどころではないようで、鉛中毒、粉塵、高温多湿など


   

   ここで 作業者として従事した人は


   30歳まで生きることができると、長寿を祝うほど


   短い生涯だったようです。




   雇用側も、厳しい管理と、手厚い保証制度で


   作業者の確保に努めたようですが、


   それにしても、慢性病と隣り合わせ、30歳で長寿とは…




   今の時代と、この場所に生まれた…というのは


   いかに幸運な事なのか…という事なのでしょう。




   さしもの勢いを誇った 石見銀山 も


   江戸時代末期になると 採掘量の減少で採算が悪化


   第二時長州征伐時に 幕府が敗退。




   長州軍の手となるところとなり


   その後 徳川氏は 急速に勢力を弱めながら


   幕藩体制の崩壊へと向かっていきました。




   明治以降は… 再開発が進められるも


   軌道に乗らず 経済への影響も僅かなものとなりました。




   写真は 龍源寺間歩 (りゅうげんじかんぽ) という


   現在、公開されている 往時の坑道です


   坑内の空気を 環流させる技術を確立したのが…江戸時代




   当時の作業者と話せるものならば…してみたいと思いました。

   

   





   

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