霊台橋は20mに満たないけれど、22mまでくらいなら出来る。
それ以上は自信が無い・・・。
総庄屋 布田 保之助 が、この土地を石工に検分して貰った結果でした。
高さを稼ぎたくとも、高くなればなるほど、急に工事の難易度は上がってきます。
とても、水を渡す「白糸大地」と同じ30メートルまでは上がらない・・・・・。
とすれば・・・ 水を一旦、10m下となる、橋の面まで降ろして、再び上げる
サイフォンのような原理を使う以外に方法はない。
22mの高さの「橋」は種山石工に任せ、自らは水路橋成功の鍵となる
サイフォンの試作を開始します。
まずは「木」で試作しましたが、水の圧力に耐え切れません。
次は「石」、大きな石をくり抜くことによって強度は十分となりますが
問題は継ぎ目をどう処理するか?
「漆喰」に着目し、配合をいろいろ変えてみては試すのですが、ことくごとく失敗。
次に「溶けた鉄」を流し込んでみると、今度は石の方が割れてしまいます。
そのうちに「八斗漆喰」を使った土蔵が歳月に耐えている事実を聴き及び、
早速、その作り方を習って、試作を繰り返したなかから、
ようやく、実用に耐える配合が見つかります。
石工達も・・・
前代未聞の高さにまで上げるために、石積みの工法について、
検討に検討を重ね、ついに22mにまで上げることに成功!
それに 布田 保之助 自力開発によるサイフォン水路 を組み合わせて
ついに通潤橋は実現の時を迎えることとなります。
その完成度の高さは・・・ それから120年間もの永きに渡り無補修で役割を
果たし続けたことに現れていました。
時々・・・ 中の汚れを取り除いてやるために、農閑期に
真ん中から水を抜くための独特の構造が、いつしか有名になりました。
横に並べた3本の導水管は、日照りの厳しい年でも
白糸台地100ヘクタールの水が枯れないよう綿密に計算されたもので
あったことが、後の調査で分かり専門家を驚かせました。
ところで・・・ この「橋」には欄干が無いことにお気づきだと思います。
これは、とても珍しいことなのですが。
これだけの高さにであるにも関わらず
端でも歩かない限り、全く恐怖感を感じないのです。
欄干を設けてないのは・・・。
十分な広さがあること・・・ 何より、この「橋」が地域の住民でお金や、労力を
分かちあって作られる、ぎりぎりの設計であるからです。
静かな谷に佇んでいると・・・。
かって、泥と汗にまみれて、
石を担いだ人たちの声が聴こえてくるような気がしてきます。
この方達と、生きる時代は違っているけれど
なぜか、今も賑やかに槌音が響いているような、
そんな現場の賑わい。
力強く立ち上がっていく橋を頼もしく思いながら
この先を生きる人の幸せをも願ったのでしょうか!?
そして今、後の時代の人が訪れる。
きっと、そう思っていた人がいたのだと。
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