いよいよ通水となる、その日・・・。
工事推進の総責任者である 矢部 の 総庄屋 布田 保之助 は、
紋服の懐に短刀を偲ばせて、橋の中央に正座、その開通に臨んだと言われています。
もしも・・・通水によって橋が崩壊したなら、橋と運命を共にする覚悟でした。
いぇ 仮に・・・通水に失敗すれば、修復して「橋」としては活用できても、
この架橋の要ともなる・・・複雑な構造を持つ「水路」として復旧を行うのであれば、
一度、全てを解体しなければ不可能ですから、
通水の失敗と共に自刃する覚悟であったものと思われます。
そもそも・・・
なぜ、彼は そこまでの覚悟を秘め、開通へと臨む気持ちに
なったのでしょう!?
周囲の水は豊富であるにも関わらず、谷が深く、長きに渡り
不毛の地であり続けた「矢部」。
総庄屋として、農民の困窮に心を砕き続ける日々・・・。
水路橋を架けて、水を引くことが出来れば田畑は潤い、皆の暮らしぶりは良くなる。
すでに・・・ 十代の頃から、そのアイデアを温めていたと言われています。
年月は流れ・・・
彼が、五十代になった頃・・・。
それまでには例がないほどの大きな石橋の建設にも、目途が立つようになり・・・
いよいよ念願であった、水路橋の建設向けて、着手することとなるのです。
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