2009年12月11日金曜日
いつの日か
関ヶ原の合戦に敗れ…
敗軍の将となった 毛利 輝元
徳川 家康 より
折角、手塩にかけた
広島城と領地112万石を没収され…
周防・長門36万石に移封される事となります。
広島城明け渡しの時…
いつの日か…
心に秘めるものがあった事は 想像に固くありません。
この事は…
戦争の恐ろしさを物語るエピソードの一つでもあります。
「恨み、悲しみは時を経ても消えることは無い。」
徳川政権も、その事を強く意識しています。
関ヶ原合戦以降の、築城ラッシュの中で…
とりわけ 名古屋 大阪 姫路 の城を
巨大な要塞として、防御を強化。
不安定分子の多い、西からの攻撃に備えました。
やがて…
それらから、250年の時を超えて
政権の、腫瘍のように考えられていた2つの藩
毛利長州藩 島津薩摩藩 が共に 幕府へ向かって迫り
崩壊へ向けての、導火線となっていったのですから
忌み、恐れたのも
また当然のことでもありました。
毛利側 長州藩も…
今こそ、祖先の恨み果たす時…
衰えつつも、いまだ巨大な勢力の前に
無残に、命を散らしていきながら 考えていた事でしょう。
その時々…
姫路城は それら攻略の
最前線としての期待を込めての築城にも関わらず
その、秘めたる実力を発揮する機会は
ついに訪れることがありませんでした。
目前にまで、迫ったことはありますから…
これも、何かの因縁事なのかも知れません。
もしも…
それが現実のものとなっていたら
現在、私たちが その姿を見る事があったかどうか!?
西からの攻撃に備えた城が
後の世となり…
西日本を代表する観光地として 世界中に知られるようになったのも
また、歴史の巡り合わせの不思議なところでもあります。
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2 件のコメント:
Hi, it's a very great blog.
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tony さん
ご来館ありがとうございます!
どうぞ、お時間の許す限り
ゆっくりと楽しんでいってくださいね。
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