2009年12月9日水曜日
千姫
物事は… 続けてみるものですね~
こともありましょうか…
つばめ・ミュージアム で
お姫様の物語 を 書くことになろうとは…
しかし…
お城には
お姫様の物語がよく似合います!!!
案外…
時を経た時
何人かの お姫様の物語を書いているのかも…!?
千姫…
1597年5月26日(慶長2年4月11日)誕生。
徳川幕府 二代将軍 徳川 秀忠 の娘。
家康 から見れば 孫にあたります。
7歳の時には…
豊臣政権の懐柔策として
豊臣 秀頼 の正室 として 嫁入りさせられますが
二人の生活は…
仲睦まじいいものであったらしいですね。
( 人事ながら、そうであって欲しいとも思います… )
しかしながら…
1615年5月7日…
大阪夏の陣にて 大阪城が落城。
その 少し前に救出されたことは 有名な話です。
その時、19歳。
人の命が 現在より、軽かっであろう時代とはいえ…
もはや落城寸前となった
大阪城の姿 と 刻々と迫る 秀頼の運命を想い…
幼い日々の思い出と共に
後々まで、大きな傷として残ったことでしょう。
その時…
自ら… 秀頼 と 側室 の間に生まれた娘を救い
豊臣の姫としての意地を覗かせています。
大阪夏の陣の後…
姫路城に入った 本多 忠政 の 息子
本多 忠刻 の 正室 として 再び嫁いでいきます。
その時…幕府から、化粧料として貰い受けたのが
10万石
…といっても ピンとはきませんけれど
とにかく… 途方もない金額 ということだけは解ります。
そのお金を使い…
池田氏 から 引き継いだ
姫路城 の整備を続け 現在の姿を整えています。
この時の生活は どのようなものだったのでしょうか!?
写真の 千姫の間 にある、この 人形の姿 に
人の呼吸を見る思いがします。
しかしながら…
忠刻 は 1626年5月7日 31歳で死去。
二人の生活は 10年と 決して長いものではありませんでした。
この年…
身内の不幸が続いた後
江戸に戻り
千姫 は 70歳の長命を全うします。
数々の流転を見続けたであろう生涯…
もしも… 時間が戻せるなら
一度 お会いして 話を伺ってみたいものですね。
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