2011年10月30日日曜日

大島点景 その7 幕府軍艦の艦砲射撃跡はどこ!?


島の突端付近まで走った私達は・・・


再び、陸奥記念館のある公園近くまで戻ってきました、

今度は・・・ 一度、山を越え・・・ 島の西側を走ることに。


海岸線を臨んでいた道を左手に折れると・・・ すぐに坂道に。


登りつめためところに・・・

尾根伝い!?と覚しき道があって、地図で見る限りには立派な道風情・・・
しかしながら、地形的にはアップダウンの繰り返になりそうで、
自転車ではキツイでしょう。

しかしながら・・・

ここから、ちょっと奥に入ったところに、
江戸時代の軍艦が打った砲弾が当たって穴が開いたところが、
今も残っているといいいます・・・


そこまでだけでも走ってみよう!


おっかしいなぁ・・・!? もう着いても良い頃なのだけど・・・

まさか・・・ さっき下っていった道じゃないだろうし。

看板も何も見なかったよねぇ~?



これまで・・・ ガイドマップには書かれていても・・・

現地には案内板が設けられていないか・・・

あったものが無くなっているらしきケースは少なくないですから・・・

こんなケースは珍しくないとはいえ・・・ 狐につままれたれたようで面白くはなく、


騙されたと思って、唯一の別れ道らしき道を下ってみることに!


自転車を降り、ブレーキをかけながらでも苦しく思えるほどの
下り坂をの先に神社があります。

途中・・・ 寺の人らしき人の車とすれ違い。

しまった・・・ 道を聞けば良かったと思っても後の祭り・・・


しばらく探しても、それらしきものが見つかりません。


そろそろと、諦めかけたところに・・・

先ほどの方がが戻ってきて、教えてくれました。


なるほど!・・・ 寺は山の斜面の石垣の上に築かれていて・・・
そこの石垣の石が一つ抜けています。(めり込んでいるのだそうです。)

よくぞ、石が抜けているのに、石垣の強度が保てているものだなぁ・・・

・・・と感心するのですけれど、そうと言われなければ、
何らかの理由で抜け、補修待ちをしているくらいにしか感じません。


いゃ・・・ 待てよ!

よく見ると、その周辺だけすこしめり込んだようになっているな・・・

やはり凄い威力なんだ・・・ と2人。


振り返ると・・・

第二次長州征伐の時・・・ 幕府軍の最新鋭軍艦2隻が
入ってきたという、湾が見えています。

往時の絵と見比べて、船との距離は約1kmといったところでしょうか!?


長州軍は、この時
むざむざと、やられているように見せかけ・・・

折を見て奇兵隊により反撃を開始・・・


この時・・・

幕府は、長州一国にすら勝てない・・・ と世間の知れ渡るところになって、
後の維新回天への引き金となっていきます。



この、浄西寺は、下の集落を見守るようにして建てられていて・・・


こちら側には立派な石段がありますし、看板などもあったのかも!?



写真、左2本の石の塔は、同じ浄西寺内にあります。

鎌倉初期の・・・1202(建仁2)年造立になる瀬戸内地方最古の
石塔なのだとか・・・。


戦艦陸奥、幕府の軍艦砲撃跡に・・・ この石塔。

大島は歴史を 静かに・・・ しかしながら雄弁に語っています!


0 件のコメント: