母は来ました 今日も来た
この岸壁に 今日も来た
とどかぬ願いと 知りながら
もしやもしやに もしやもしやに
ひかされて…
舞鶴の港に、今だ帰らぬ息子を待つ「岸壁の母」
実話に基づく、映画の主題歌ですね。
第2次世界大戦の終結時…
海外に残された日本人は660万人以上ともいわれ
これらの方々を、すみやかに帰国させる必要に迫られました。
そんななか…
舞鶴港は、大陸からの引揚港に指定され
1945年(昭和20)年10月7日から、1958年(昭和33年)9月7日
までの長期に渡り、引揚港として使用されました。
人々にとって、再び本土の地を踏む、希望の港でもあり…
厳しい生活のなか、この日が来るのを 待ちわびながらも
力尽き、落命した人も多かったのです。
写真は…
復元された 引揚桟橋 です。
今回は、姫路城、京都市内、舞鶴…へと、実際の旅やルートとは
違っているのですが、あえて一つの旅であるかのように紹介して
いっています。
戦争に絡むものは、展示のタイミングを図るのが難しい。
先の、福井-鳥取海岸線編を紹介する時に
やや、タイミングを失した感じがあり
そのままとなっていたものですが…
ようやくここで、舞鶴編として紹介させて頂くこととしました。
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