2009年12月22日火曜日
きかんしゃC59のものがたり
広島市こども文化科学館 の隣で、展示されている機関車…
C59形 161号機。
機関車にもいろいろとおりますが…
この C59 は 東海道山陽本線 ・ 呉線 など
幹線として 特に線路を強化した 特甲線 と呼ばれる
規格の路線のみで 運用可能な 大型旅客用機関車 です。
それまで使われていた…
意欲的な設計ながら、取り扱いの難しい 機関車 C53 を
置き換えるために 1941(昭和16)年 より登場
戦後まで 7年間に渡って 173両 が製造されました。
当初は C53 と共に使われましたが
あらゆる意味で扱い易いこともあり、やがて主役の座を移し
東海道山陽本線・呉線
(…と東北本線・鹿児島本線の一部:詳しい資料がありません
ので区間がはっきりしませんが。)
「つばめ号」に代表される、特急・急行列車の主役に立つように
なります。
そんな…
華々しい活躍をした機関車にも関わらず
一般の知名度は、まるで低いんですね…
なぜなら… 製造開始年の1941年は
太平洋戦争に突入した、その年。
次第に暗くなる世相のなか、特急よりも、貨物輸送が最優先…
そんな時代ですから…
趣味として、写真撮影など おいそれと出来るはずもなく
往時の写真は、本当に残ってないんですね。
さらに…戦後の1948(昭和23)年になると…
戦時輸送のため大量生産され、余った
貨物用大型機関車 D52 のボイラーを活用して
改造機関車 C62 が誕生します。
C62 は 全生産数が 49両 と少ないのですが…
その出力の高さから
次第に 再開されていく 特急牽引の座は C62 が
担当するようになります。
時代が 落ち着きを取り戻していくのを反映するかのように
この頃から、特急列車の写真が多く残されるようになります。
さらに…
改造で登場とした機関車とはいえ
電化の進展を見越した
C62 は簡単な改造で、規格の低い路線にも転用できるように
設計されており、他の線区よりも早く電化が進められる
東海道・山陽本線のなか
改造され、第2の働き場所へと移動していきました。
C59 も 47両 が C60 に改造され、東北・鹿児島本線に
転用されたものの…
残るグループは、まだ 車齢に余裕がありながら、
転用が難しく 廃車が進められていきます。
そうした C59 の最後の活躍場所となったのが
呉線 の旅客列車
そのなかでも…
夜行寝台車を連ねた
東京-広島間の急行 「安芸」
大阪-広島間の急行 「音戸」 の先頭に立ち
日中堂々と走る姿は ハイライトとして
数多くの写真が残されることとなりました。
どちらの列車も…
三原で電気機関車と交代
呉線内を C59 ・ C62 が牽引を担当していました。
ここが 本州最後の、大型旅客用蒸気機関車の砦と
なったのです。
そして…
1970(昭和45)年9月末
呉線の電化により終焉を迎えました。
なお… 北海道に転用されていく仲間がいた
C62 に対し C59 は、ここが最後の活躍場所でした。
「安芸号」の最終列車の先頭に立ったのが161号機です。
この時、最後まで残った機関車…
161号機 が 当地 に
164号機 が 梅小路 に
それとは別に…
1 号機 が 九州鉄道記念館 に 保存されています。
161・164号とも、ほとんど広島を離れずに
活躍した機関車なんですよ。
全国的な知名度とは別に、地元には大変貢献した車両です。
C59は…
機関車の専門家の多くから…
もっとも、バランスの取れたスタイルを持つ機関車。
…と呼ばれるだけに、残存両数の少なさが残念ですが。
鉄道ファンの多くから…
もっとも、美しいスタイルを持つ機関車…として人気の高い
C57形式 と、一度見比べてみてください。
なるほどねぇ~ と思わせるだけのものがあります。
あ~ 今日は 長くなってしまったぁ~
お付き合い戴きありがとうございます!!!
企画から展示までの
棚上げが長かった 展示の一つなんですよ。
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