2009年12月17日木曜日

明治から平成 そして未来へ!



   姫路城ほどの大きな城となると…

   
   常に、どこかで修理工事が行われているものです。




   …とはいえ




   もしも… 天守閣が傾きつつあったなら…




   さぁ、大変!!!




   その傾きを修正するには




   もはや、解体修理しか方法はありません。




   1956(昭和31)年…


   江戸期以来、指摘されていた 天守の傾きを修正するために


   一度、全てを解体した後、再び組み直す


   大規模な解体修理工事が 昭和大修理 が着手されました。




   戦後10年を経過していたとはいえ…


   今だ、経済は発展途上


   計画当時の情勢を考えると


   大変な決断では無かったかと思われ…


   尽力された方々に、頭が下がる思いがします。




   さて…




   もしかすると…




   姫路城は 手抜き工事!?



   
   真偽のほどはわかりません。




   実のところ…


   世は徳川の時代に入ったとはいえ


   豊臣の息がかかった武将を始めとした、人々は健在であり




   徳川家康の隠居城である


   駿府城 は、明らかな手抜き工事が指摘されています。




   当時の…


   構造計算技術の貧弱さから止む終えないもの…とされますが


   ともかく、石垣が構造物を支えきれておらず


   礎石を組み直す工事が行われています。




   ちなみに…


   広島城 は


   戦後の天守再建時…


   礎石部分に、コンクリートを注入しようとしても出来なかった


   …という話があります。


   三角州への築城となるための、慎重な工事の結果でしょうが


   今風にいえば、過剰設計なのかも知れません。




   礎石部分の工事を行う時、併せて 発掘作業が行われ


   旧姫路城に関する、遺構が発掘されています。


   

   ハイライトは…


   天守の「心柱」交換でしょう。


   東西2本で構成される、心柱のうち 西心柱が腐っていて


   交換されましたが…


   交換のための材木探し、運搬にも困難が伴ったようです。




   これも…


   姫路市内を、城まで運び込むとき


   お祭りのようにして 運んでいるさまを 写真で見ることができ


   当時の人々の、修復への期待の大きさを伺わせます!   


   

   その時 交換された、旧西心柱は…


   現在、城内にて展示されていますから


   お越しの際は… ぜひ、ご覧になってみて頂けたらと思います。




   こうして…


   8年の歳月をかけて行われた 昭和大修理 ですが




   修理後45年を経過し


   各部の劣化が進行したため


   本年より 平成の大修理 に着手しています。


   昭和の大修理のような、解体作業は無いものの


   総工費28億円(Wiki調べ)は、やはり大きな金額。


   今となっては、職人さんの技量維持の観点からも


   重要なものでしょう。




   いやはや…


   木造建築の維持、管理というのは 大変なものですね。




   人から人の手へ


   時に…


   バトンを見失うような思いをしながらも


   その歩みを 今も続ける 姫路のお城


   5層(内部は7層)の天守に3基の小天守からなる城郭遺構群の


   その輝き、いつまでも… と願わずにはいられません。










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